桜が舞うと、嵐が来る。 獣のように貪り合って、まだ足りないと体を離さずに見つめ合う。 「土方さん、覚えてますかィ?」 「…たりめーだろ」 この時期、極めて稀に投げかけられる質問に、俺は必ず答える。 忘れる筈がない。 忘れられる筈が、ない。 俺が総悟を初めて抱いたのは、桜が舞う季節だった。 * 最初に見た時は、童女ではないか、と思った。 それほど整った顔立ちをしていたガキだったが、すぐに本性を知ることになる。 俺を見れば悪態を吐き、思いつく限りの嫌がらせをしてくるそのガキが、ある日縁側で昼寝をしていた。 それを偶々見つけただけだ。 相変わらずムカつくガキだと思い叩き起こしてやろうとした時、強くはない日差しが元々色素の薄い髪や肌をやけに透明に輝かせた。 ――触れちゃ、なんねぇ。 これまで戯れに触れたことはあったが、もうそれでは済まされない。 俺は、自分の中がどれ程黒く汚れているのかを、思い知らされた。 それからの俺はできるだけ総悟を避けた。 昼間は周りの目もあったため常を装ったが、夜になればすぐに部屋を抜け出し、以前にも増して女の所へ通う生活になった。 自分の闇を自覚した瞬間から、この狂気が総悟に向いてしまうことが何よりも恐ろしかった。 狂気以外の何物でもないだろう。 遥かに年下の、同性の総悟に、欲情するということは。 その欲情をやり過ごすために女を抱く。 我ながら最低だとは思うが、他にやり場がないのだ。 女と、酒と、煙草。 自堕落の象徴図のような組み合わせを覚えるまでに、さほど時間は掛からなかった。 俺の生活は、朝帰りが日課のようになっていった。 そんな生活が、どのくらい続いているだろうか。 武州を出て江戸で真選組を結成しても、俺はなるべく夜には総悟に会わないようにしている。 あれだけ俺を嫌っていた総悟が、いつしか訝しがるようになっても、俺は生活を変えることはなかった。 正確に言うなら、その辺りのことについては深く考えていない。 総悟には色恋に関して異常に疎い所があるからだ。 年の割には知識も皆無に等しい。 近藤さんが、総悟をまるで箱入り娘のように可愛がっていた所為もあって、誰も総悟にその類のことをしっかりと教える機会がなかったのだ。 俺の朝帰りに疑問を持ったとしても、何をしているのかまでは知らない。 ――触れちゃ、なんねぇ。 俺が選ぶのは、どこか総悟に似た女ばかりで、そんな自分に反吐が出そうだった。 いつものように明け方に屯所に戻ると、寝巻きに羽織を羽織っただけの姿で屯所の門の柱にもたれている総悟に会った。 「お早いお帰りですねィ」 「…何してンだ?」 動揺を隠して煙草に火を点けながら答えると、総悟は少しだけ表情を強張らせる。 「アンタこそ、何してンですかィ?」 「お前にゃ関係ねぇよ」 俺の言葉を聞いた総悟は、屯所の中へと走っていってしまった。 その後姿を見つめて、俺は深く息を吐く。 女を抱いてきたばかりの顔で、総悟とは1秒たりとも長く向き合いたくはなかった。 だから総悟がすぐに立ち去ってくれたことは有り難かった。 しかし。 「トシ、総悟のことなんだが」 その数日後の夜、俺が抜け出す前の部屋に近藤さんがやってきて話を切り出した。 「………」 沈黙した俺を他所に、話は続けられる。 「この数日、様子がおかしい。苛々してるというか…不安定になってるんだ」 お前、何か知らないか、と問われて俺は即座に返事をした。 「あの年頃なんざ、そんなモン当たり前じゃ…」 「総悟がだぞ?」 そう言われてみれば、そうだ。 総悟は人一倍プライドが高い。 何かを抱えていたとしても、他人に悟られるような状態を自ら作ることはまず有り得ないだろう。 「近藤さん、あんたが聞いてやればいい」 少し苦い思いで返す。 だが、俺の言葉に近藤さんの眉間に皺が寄った。 「それが…何度訊いても、その…お前の悪口しか出てこんのだ」 「…いつもの通りじゃねぇか……」 呆れた俺はため息を吐くが、近藤さんは射抜くような目で此方を見ている。 「覚えは、ないんだな?」 ぎくり、とした。 隠し通してきたものがバレたのかと、心臓が早鐘のように鳴る。 「…あるわけ、ないだろ」 搾り出すように言うと、近藤さんは部屋を出て行こうとしたが、一度だけ俺を振り返った。 「お前も総悟を見ててやってくれ。何のことかは知らんが、関係ない、とは二度と言うなよ」 一人になった部屋で、俺は混乱した。 確かに数日前、朝帰りのことについて、お前には関係ない、と総悟に言ったのは事実だ。 だが、そんなことで総悟が苛々? 不安定? しかも多分誰よりも総悟を見ている俺にそれが見抜けなかった? 何かが、おかしい。 考えても出ない答えに、今度は俺が苛々してきた。 何事にも動じない素振りばかり見せている総悟の、不安そうな姿を想像してしまった俺は、その想像をかき消すためにも丁度良いと思い、外へ出た。 細い通りを歩いて、約束を交わしていた女と落ち合う。 女はすぐに俺に寄りかかってキスを強請ってきたので、その場で応えてやった。 「土方様、私を抱いてください」 こんな所で俺の名を出し、そんなことを言う女の名など、俺には訊く必要はない。 それでも軽く肯定して、女を連れて歩き出した。 花街通いもいいが、その華やかさに疲れることがある。 今夜は東屋のような安宿で済ませようと思っていた。 そんな風に考えていた俺を小さな影が追って来ていたことなど、知る由もなかった。 翌日の朝稽古から、総悟の様子が一変した。 稽古というより本気で殺そうとしているような勢いで俺に向かってくる。 俺だけに向かう殺気を纏った竹刀の意味は訳が解らないが、その総悟の様子は道場にいた全員に伝わっていたようだ。 毎日の朝稽古では、いつも近藤さんが制止の声を掛けるぎりぎりまで、その状態が繰り返されるようになった。 「死ねェ! 土方ァ!!」 バズーカや刀を構えた総悟が、俺に向けて悪戯にしては恐ろしい行動を起こすようになったのもその日からだ。 俺は応戦しながら、総悟に何が起きたのかを考える。 だが、身に覚えがない。 あまりの総悟の暴れっぷりに、近藤さんが再び俺を詰問した。 「お前、総悟に何かしたのか?」 「…何も」 (していたら、確実に殺されている) しかし徐々に激しくなる総悟の攻撃に、俺はとうとう総悟本人に理由を尋ねようと思い、明るい内に総悟の部屋へ向かった。 「総悟、入るぞ?」 言い様総悟の部屋の襖を開けると、アイマスクをして転がっていた総悟が、明らかにびくりと体を震わせた。 その様子に旋律が走る。 (まさか、バレたのか?) 俺が抱える総悟へ向かうドス黒く歪んだ気持ちが、他人の感情に敏感なコイツには知られたのだろうか? 部屋に入ることができない俺に、総悟がアイマスクを押し上げてだるそうに尋ねてくる。 「何ですかィ…?」 死ね、と言われないことに俺は違和感を覚えた。 再びアイマスクをして俺に背を向けるように丸まった総悟の、呼吸が僅かに乱れる。 今回は一目見てすぐに解った。 ずかずかと部屋に入った俺は、総悟を抱える。 ――触れちゃ、なんねぇ。 それどころじゃねぇ。 総悟の体は異常なまでに熱を持っていた。 すぐに人を呼ぼうとした俺を総悟が止める。 (ああ、コイツは駄目なんだったな…) 総悟には弱った自分を曝け出すことを嫌がる癖があった。 「…出て行って、くだせェ」 「このまま放置できるか!」 思わず声を荒げた俺を、総悟は力なく睨んでくる。 「離せ。アンタなんか」 「………」 熱に浮かされた赤い瞳がふっと光を失う寸前、俺は心臓に刃を突き立てられた。 「…女と、一緒に、殺して、やりた……」 俺は救護を呼んでその場から逃げるように立ち去った。 幸い総悟はすぐに復調したが、そのことをまるで覚えていない様子だった。 しかし、俺に突き立てられた刃のその傷口からは、とめどなく血が溢れている。 何故総悟があんなことを言ったのか、そこまで疎まれている理由がまったく解らない。 ただひとつ、俺が女と会っていることを総悟が確実に知っているということだけは解った。 ――触れちゃ、なんねぇ。 心のない逢引がそれだけのためだと言ったら、総悟、お前はどうするんだ? そんな中で、俺は夜を自分の部屋で迎えて書類を捌くことが多くなってきていた。 増えていく組内での仕事は半端ではなく、朝帰りを繰り返す生活には限界が来ているのだ。 何より熱を出した時の総悟の態度と言葉が、俺の外出への気力を削いでいた。 しかしどんなに疲れていても、総悟が気掛かりであっても、自分の感情を吐露する訳にはいかない。 何があっても、死んでも、殺されても、この感情は誰にも知られてはならないのだ。 巡らせても無駄な思考を振り払うために、手にした書類をめくる。 「土方さん」 突然襖の向こうから俺を呼ぶ声がした。 総悟だ。 とっくに寝ていると思っていたが、まだ起きていたらしい。 急に呼ばれた俺は、どきりと跳ねた心臓をひとまず落ち着かせるために、思わず深く息を吐き出した。 こんな時間に総悟を自室に入れたくはないが、そんな事情を総悟が知っている訳がない。 仕方なく襖を開けると、単姿の総悟が、滑り込むように部屋へと入ってくる。 悪戯の延長で蹴りのひとつでも食らうかと思いきや、総悟は神妙な顔をしていた。 「どうした? また具合でも悪いのか?」 質問にも答えずに、総悟は正座をしたまま、俯いている。 白い項がどうにも目に悪い。 気を逸らすように促し続けると、総悟が思い切ったように顔を上げた。 「アンタいつも女と何してるんですかィ?」 「…!?」 あまりにストレートな問い掛けに俺は暫し言葉を失った。 「答えろィ」 大きな赤い瞳が、見上げてくる。 俺は慌てていたが、ふと部屋に来た時の総悟の不自然な様子が気になった。 俯き加減で切り出せなかった総悟。 (こいつ、ある程度知識つけたンじゃねぇか? 隊の誰かに聞いたんじゃ) 「…セックス」 直球だが答えてみた。 しかし、総悟からは何の反応も返って来ない。 やはりまだ何も知らないようだ。 「なんで俺に内緒でセックス? してるんですかィ?」 逆にどうしようもない質問をぶつけられた。 「なんでって…。普通見せたり言いふらしたりするモンじゃねぇんだよ。まあ、お前にゃ早ぇな」 またもや直球で答えてしまって、しまったと思ったが、時既に遅し。 「早いって…俺がまだ子供だって言いたいんですかィ!? 土方コノヤロー!」 子供扱いされることと、女と間違われることが嫌いな総悟は、言うが早いか鋭い蹴りを入れてきた。 俺は総悟の足首をパシッと掴んでそれを阻止する。 総悟に触れた手が、まるで火傷をしたようだった。 だが、そんな思いは長くは続かなかった。 「なんでィ! 土方さん、女と二人の時は抱き合ってる癖に…っ!」 「おま…っ。見てたのか!?」 「…あっ。え…と」 目を見開いた俺に総悟が慌てふためいた。 (何処で見てやがったんだ!? コイツは…!) 思ってから総悟の態度が急変した辺りのことに行き当たった。 恐らくその時期の何処かで、総悟は意味が解らないなりにも、俺が女と抱き合っていることを見知ったのだろう。 (解んねぇなりに、汚らわしい、と思ったンだろうな…) 少年らしい潔癖さだと誇らしくも思えたが、既に狂った思考回路の俺は、同時に真逆のことも考えてしまった。 この白さを俺の黒さで犯したい。 流石に自分が嗤えてくる。 「足! 足! 足離しなせェ!」 総悟が叫んだ瞬間、俺は掴んでいた足からぐいとその体を自分の方へ引き寄せた。 ――触れちゃ、なんねぇ。 解っている。 これは総悟を追い出すために怒らせるという手段だ。 ころんと転がって仰向けになってしまった総悟に覆い被さる。 「総悟、抱っこして欲しいのか?」 総悟はきょとんとするだけで、急展開についていけていない。 「ち、違いまさァ!」 「違わねーだろ?」 俺は総悟をそっと抱きしめた。 総悟の体は刀を振るって鍛錬しているにもかかわらず華奢で、その顔立ちも相まって、黙っていれば少女と間違われることが多いのも無理はないと思った。 「離しやがれ!」 「…黙れよ」 暴れる総悟を抱きしめる力を強めると、またも怒声が響く。 しかし怒りの内容は俺の期待していたものとはまったく異なっていた。 「アンタ抱っこだけじゃねぇだろィ? 他にも何かしてただろィ!」 その言葉にぎょっとなった俺は、思わず引きつってしまった顔で問い掛けた。 「お前、もしかして…全部見てたのか?」 ぷいと横を向いた総悟が爆弾を投下した。 「ちょいと見てから後は聞いてただけ! 女があんあん言ってやした! アンタもはあはあ言ってやした!」 どうしたらあんなことになるのかわかりやせん、と唇を尖らせる総悟に、長年保ってきた俺の理性は崩壊寸前だ。 ――触れちゃ、なんねぇ。 総悟から体を離さなければ完全に理性が崩壊してしまう、と俺は起き上がろうとして固まった。 俺の唇に、総悟の唇が押し当てられたからだ。 「土方さん、俺を抱きなせェ」 |