埋火聖夜祭

 いつもなら、布団はもっと暖かい。
 重い瞼は持ち上げる気にもならず、右手でごそごそ温もりを探す。
 一緒に眠ったのだから、すぐに触れられる筈なのに、其処には存在しない体温。
 だらりと伸ばした腕の先に、土方さんはいなかった。
 そう言えば。
 「朝イチで発つって言ってやがったなァ」
 クリスマスイヴに極秘出張なんざ、ザマアミロ。
 俺なんか、午前中に見回りに行けば、明日の夜まで非番だ。
 尤も、このシフトは意図的に、綿密に、土方さんによって調整されていたのが丸解りだが。
 本当は、今夜、動けなくさせられる所だったんだろう。
 そういうのも嫌ではないけれど、今は鬼の居ぬ間の何とやらが心底嬉しかった。

 鼻歌交じりに食堂に行き、味噌汁片手に鰆の塩焼きを突付いていると、隊士の一人が両手で小ぶりな白い箱を抱えて歩いているのが見えた。
 書類が入った段ボールにしては小さい。
 そして向かった方向からして、恐らく隊士はソレを土方さんの部屋に届けようとしている。
 気になって追い掛けようとしたのだが、背後から「総悟!」と近藤さんの弾んだ声が聞こえた。
 「おはようございやす」
 「おはよう。昼から非番だったよな?」
 「へィ、どうかしやしたか?」
 近藤さんの大きな手が、俺の髪の毛を掻き回す。
 「クリスマス、チキン食いたいんじゃないかって思ってな」
 テレビに出てくるような豪華なモンじゃねぇけど、と笑う近藤さんを見て嬉しくなった。
 久々の非番を近藤さんと一緒に過ごせて、しかもクリスマスができるのだ。
 「チキンもケーキも、鬼嫁も楽しみでさァ!」
 「屯所の宴会じゃ、チキン争奪戦だもんな、こっそり食ってこよう」
 昼過ぎにチキンを売りにしているファーストフード店で待ち合わせることにして、俺は浮足立つのを抑えるのに必死になりながら見回りへと向かった。
 だから、土方さんの部屋に届けられた小さな箱のことは、きれいさっぱり忘れていた。
 箱の存在を思い出したのは、いや、その箱を再び見たのは、近藤さんと死ぬほどチキンを食べて屯所に戻ってきた時。
 クリスマスイヴの宴会の前に風呂に入って、自室に戻ろうとした所で、山崎と出会った。
 俺を見た瞬間、慌てて両手を背中に隠したが、小さいと言っても両手で抱えなければならないサイズの箱だから丸見えだ。
 「ソレ何? 土方さんのだよな?」
 「えーっと、あ、俺が副長に頼んでたブツなんですよ!」
 嘘だ。
 じとりと山崎を睨んでみたが、脱兎の如く廊下を駆けて行ってしまう。
 お陰で宴会が始まっても、俺は何処かもやもやしたまま過ごす羽目になった。
 それでも近藤さんが褌一丁で踊り出す頃には、出張中の土方さんがウザイ電話を寄越すだろうと、ほんの少し気持ちが落ち着いたのに。
 なのに、土方さんから、電話は、なかった。
 其処らの女に手を出しているとは思わない。
 けれど、何かあったのだろうか?
 あの箱は関係あるのだろうか?
 宴会の終盤に、酔い潰れた隊士の間を縫うようにしながら、瓶や缶を片付け始めた山崎をぼんやりと見つめ、そんなことを思った。
 箱のことを訊きたい気持ちが湧いてくるが、あまりに忙しなくしているから躊躇われる。
 と、傍で携帯電話の着信音がした。
 短い音だったので、メールだろう。
 辺りを見回すと、山崎が飲んでいた場所に置き去りにされた携帯電話のディスプレイが光っている。
 「ザキィ、携帯鳴って――…え?」
 手にした山崎の携帯電話は、メールの本文が着信と共に解る設定にしてあった。
 見ようと思った訳ではなかったが、其処に自分の名前があれば目に入ってしまうのは当然だと思う。
 『明日も総悟に見つからないように頼む』
 総悟、と、俺を呼ぶのは近藤さんと土方さんだけで。
 近藤さんは既に裸で潰れているから、これは土方さんだ。
 秘密事を山崎に頼んで、俺にはメールも電話も寄越さないなんざ、土方殺す。
 「…鳴ってたぜィ」
 携帯電話を差し出すと、画面を確認した山崎が顔を歪める。
 「あの、これ見ましたか?」
 「知らねェ」
 広間を後にしようとするのを引き留められたが、無視して自分の部屋まで早足で戻った。
 山崎に訊くまでもない。
 直接クソ土方に電話して問い質してやろうと思い、冷静になるべく深呼吸までしてコールしたのに。
 なのに、土方さんは、電話に、出なかった。

 何時の間に眠ってしまったのだろう。
 肩口が冷えた所為なのか、自然と目が開いた。
 時刻を確認しようと、頭上に向かって適当に手を伸ばし、ばしばし畳を叩いて目覚まし時計を探していたら、何かに触れた。
 紙の感触のソレに、がばりと身を起こす。
 枕元には丁寧にラッピングされた包みがひとつ置かれていた。
 開いてみると、緋色のマフラーがメッセージカードと共に現れる。
 『今年も頑張った総悟へ 風邪をひかないようにな! サンタ』
 俺は幾つになっても、近藤さんにとっては子供なのだと、苦い笑いが込み上げたけれど、素直に喜ぶことにした。
 寝巻の上からマフラーをしてみると、冷たくなっていた首と肩がすぐにほんわかしてくる。
 そのままうとうと眠り込んで、次に目を覚ました時、部屋の外を誰かが歩く音が聞こえた。
 二人いる。
 既にだいぶ明るくなっていて、遠くで隊士たちの話し声がするので、朝飯を食い逃したかもしれないが、それよりも気になるのは足音だった。
 広間や食堂の方へ進むのではなく、廊下の奥にある土方さんの部屋に向かっている。
 細く襖を開けて、様子を窺うと、昨日とまったく同じ箱を持った隊士と山崎が何やら話していた。
 「副長に……が届いたので……」
 「……が見つけない内にって…」
 よく聞こえないが、土方さんに届いたモノを、俺には秘密に処理したいことだけは解った。
 女からのプレゼントなんか珍しくないのだから、今更俺に隠したって意味がないだろうに。
 イヴも散々だったけれど、クリスマスも最悪な気分で過ごすことになった。
 いっそ仕事に追われて、サボリ場所を探していた方がマシだ。
 討ち入りがあったらよかったのにとさえ思う。
 もらったばかりのマフラーに包まれ、土方さんが帰ってきたら、どの順番で斬り刻むか思案した。
 ほかにすることもないので、とろとろ微睡んでは殺害方法を模索し、うっかり携帯電話を見ては暗い気分になって、また眠る。
 昼飯を食べる気も起きなくて、夕方までそんな風に過ごしていた。
 屯所が徐々に煩くなってきたのは、昨日のイヴの宴会へ参加できなかった者のための、本日の宴会が始まったからだろう。
 しかし、俺は夜中から警邏があるので、出られない――出なくていい。
 臍を曲げた子供と同じだと解っているのだが、山崎に会ったら当たってしまいそうで、仕事まで部屋に篭っていたかった。
 だって、仕方ないじゃないか。
 俺は土方さんに秘密を作るのが大好きだけど、土方さんが俺に秘密を作るのは大嫌いなのだから。
 真夜中の警邏で暴れようかと思っていたが、バカップルの痴話喧嘩の仲裁ばかりで上手くいかなかった。
 ふらふら明け方までかぶき町を巡っていただけ。
 寒さに震えながら屯所に帰ってみれば、宴会の残骸は凄まじく、広間で暖を取るのは諦めた。
 惨劇の広間を横目に部屋へ戻り、火鉢に火を入れるか布団に包まるかを考えて、後者を取る。
 土方さんが帰ってくるのは、クリスマスが見事に終わった本日の予定だ。
 なますにするまで、まだ時間はある。
 眠い。
 寒い。
 死ね土方。
 呪文のように繰り返せば、自然と瞼が落ちてくる。
 携帯電話がちらりと見えたが、着信を知らせるランプの点滅などありはしなかった。
 そうして昏々と、寝倒すクリスマスの仕上げをしていたのだけれど。
 重い。
 苦しい。
 「しね…ひじかた…」
 「ご挨拶だな」
 強烈な胸の圧迫感は、俺の上に乗っかっている土方さんが原因だった。
 あまりのことに言葉が出てこない。
 「全然起きねぇから、悪戯してやろうと思ったのによ」
 口をぱくぱくさせるだけの俺を見ながら、土方さんは体を起こすと「ほれ」と俺の文机の上を指差した。
 其処には、白い箱が置かれている。
 「アレ、何なんです?」
 「ケーキ」
 箱を開ける気は起きなかった。
 だって、今日はもう26日だから、これは特別なケーキじゃない。
 屯所への帰り道に、特売になっていたのを見つけて買ったんだろう。
 「…俺って、そんなにお手軽ですかィ?」
 「は?」
 イヴにもクリスマス当日にも、土方さんはケーキを贈られていたクセに、俺には電話もメールもくれなかったクセに。
 「お前、何拗ねてンだ?」
 「拗ねてやせん!」
 「いや、拗ねてるだろ?」
 土方さんの両手が、逃げられないようにと俺の頬を包んだ。
 指先から香る、仄かな煙草の匂いを嗅いだら、堪らなくなった。
 「アンタの部屋には、昨日も一昨日もケーキが届いてたのに」
 「うん?」
 「俺には、売れ残りで済ませて」
 青鈍色の瞳が見開かれる。
 「それともアレは、アンタがザキに買い与えてたんですかィ?」
 もしそうなら殺してやると視線で訴えると、土方さんが吹き出した。
 「何が可笑しいンです!?」
 「悪ぃ、でも可笑しいンだから仕方ねぇだろ…」
 くく、と声を漏らす土方さんを反射的に引っ叩こうとしたら、頬を辿っていた大きな手に素早く手首を押さえ込まれる。
 「何で俺が山崎にケーキやらなきゃなんねぇンだ?」
 「だってザキが…」
 「まぁ、適当に食ってくれとは言ったがよ、アレは全部お前のだ」
 ぽかんと口が開いてしまった。
 アレが全部俺のケーキなら、どうして山崎が食べるのか。
 どうして今日売れ残りのケーキを俺に渡すのか。
 俺の手首を掴んだまま、土方さんが目を逸らし、小さく唸る。
 「言わなきゃダメか?」
 「ダメでさァ」
 「秘密…じゃダメか?」
 「許さねェ」
 言い放つと土方さんは俺の肩口に顔を埋めて、表情を隠してしまった。
 「ひじか」
 「俺ァ、イヴから今日まで三日間ケーキ予約してンだよ、毎年」
 「へ?」
 土方さんがぽつりぽつりと、本当のことを教えてくれた。
 シフトの調整ができない年もあるかもしれない。
 宴会に盛り上がる浪士を見つけて討ち入りになるかもしれない。
 テロが起きたらイヴもクリスマスもきっとできない。
 だから。
 「一緒に食えるケーキだけを、お前にって。三日間予約しときゃ、どれかが…その、な?」
 相変わらずぼそぼそ首元で喋っている土方さんの耳を持って引き剥がし、まじまじと顔を覗き込んだ。
 「毎年してたの? じゃあアレ、俺のなの?」
 「そうだっつってンだろが」 
 流石に恥ずかしいのか、摘まんでいる土方さんの耳は熱かった。
 其処から伝わる熱が、俺の胸の辺りを、じんわりと焦がしていく。
 けれど、灯った炎をどうしていいのか解らない。
 深く深く、自分の底の部分に押し込めようとしても、この人の、この気遣いは酷かった。
 瞼が震えるのを堪えていると、土方さんが俺の前髪を掻き上げて、額にちゅっと口吻けをくれる。
 「だったら、なんで…」
 「うん?」
 電話をしてくれず、掛けても出てなかった土方さんを責めるのは間違っている。
 出張だったのだから、忙しかったに違いない。
 このケーキを食べさせてくれるだけで満足すべきだ。
 だけど、だけど。
 ああ、俺はいつからこんなに欲しがりになってしまったのか。
 「電話のコトか?」
 「解ってたンなら、どうして…」
 「俺だって拗ねるンだよ。お前、近藤さんと食事してご機嫌だったって」
 俺の口は、先程からぽかりぽかりと開きっ放しだ。
 「アンタがいなかったンだから、仕方ないでしょう」
 ふう、と、土方さんが小さく息を吐き、未だ耳を掴んでいた俺の手を外させた。
 近藤さんとチキンを食べに出掛けたことに、ヤキモチなんか焼いているこの人は、まったくどうしようもない。
 こんな風にいじけられたら、俺の方が悪いみたいじゃないか。
 「もしかして、電話、待ってたか?」
 「てっきり恥ずかしい電話が掛かってくると思ってやした!」
 ぷいと横を向くと、文机の上に置かれたままになっているケーキの箱が目に留まった。
 「…食いてぇな」
 「へィ」
 いい子にお返事をした俺の首筋に、土方さんの唇が触れる。
 器用な手があっと言う間に単の帯を崩すものだから、ぶったまげた。
 「ちょっと! 何して」
 「食おうと思って」
 「ケーキ! ケーキを食うンでさァ! 死ねエロ方!」
 「後でな」
 どさりと音を立てて背中が布団についた途端、土方さんが再び俺に圧し掛かってくる。
 せめてケーキを冷蔵庫にと思ったが、俺の両手はまったく言うことを聞かず、貪欲に土方さんの背中へ回ってしまった。

                               2015.12.26

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