俺が座卓を挟んで土方さんの前に正座させられてから、一時間が経とうとしていた。 「で? どういうつもりだ? 総悟」 トレードマークになっている煙草を一本も吸っていない土方さんが『鬼の副長』の名の通りの形相で俺を見つめている。 何も言わないままの俺は、もうバレているのは解っているが、隠しているそれを土方さんに大人しく差し出すかどうか、悩み始めていた。 事の発端はほんの些細なものだ。 ある夜、くったりとなった俺の横で、土方さんがいつものように煙草を吸っていた。 「どこがいいんですかィ…?」 布団から頭を出した俺は、思ったことだけ訊いてみる。 「あん?」 土方さんは何のことだ、と言わんばかりに俺に視線を向けた。 「ソレ。煙草」 「…どこって言われてもなァ」 曖昧な答えが返ってくる。 「煙たいだけじゃないですかィ」 昔から煙草を吸っている土方さんに訊いても仕方のないことだとは思ったが、こんな時にまで吸われてしまうと、正直腹が立つ。 「よく美味いって言いますよねェ?」 「…ガキが何言ってやがる」 俺はむっとなって布団に潜り込んだ。 (どんなモンなんだろう?) 確か土方さんが今の俺の年の頃には、もうスパスパと吸っていた煙草。 でも年齢と職業を差し引いても、何故か決して俺からは遠ざけようとする話題。 (どんなモンなんだろう?) 紫煙を燻らせる土方さんの傍らで、俺はぼんやりとそんなことを思っていた。 翌日、土方さんに散々提出しろと言われていた書類を持って部屋を訪れると、当の土方さんは不在だった。 だが、煙草の香りと煙の残り具合から、ついさっきまでこの部屋にいたということが解ってしまう自分がいて悔しい。 書類ごと回れ右をしようとした俺の目に、ふと土方さんの文机が目に入った。 (確か、ココにあった筈…) 俺はちょっとした好奇心で、土方さんの文机の引き出しを開けた。 盛大にストックされているそれをひとつだけ取り出して、そっと隊服の内ポケットに忍ばせると、俺は完璧に痕跡を隠して今度こそ書類ごと部屋を出た。 縁側に座って、隊服の上から内ポケットを撫でる。 もちろん最初から吸おうなんて思ってはいない。 ただ、何となく持ってきてしまった。 理由なんて、俺にもあんまりよく解らないのだ。 (あれだけ沢山ストックしてあんだからバレる訳ないだろィ) 思いながら、俺はアイマスクを下ろして、惰眠を貪ることにする。 それが現在のこの状況を招くことになるなんて、考えが甘かった。 「テメェ、何考えてンだ?」 低い声は土方さんが本当に怒っている証拠だ。 流石にこれ以上黙っている訳にはいかなくなってきたと判断するのは簡単だった。 「何も」 少し逡巡してから「本当のこと」を答えた瞬間、俺の隊服のスカーフが強く引っ張られる。 「いい加減にしろ! 出せ!!」 殴られる、と思った俺は、咄嗟に目を瞑った。 しかし一向にその気配はない。 そろそろと目を開けた俺の視線の先には、相変わらず俺のスカーフを掴んだままだが、ふいと横を向いた土方さんの姿があった。 「まさかとは思うが、吸ってねぇだろうな?」 ポツリと土方さんが尋ねてくる。 「なんで、そんなこと、アンタが」 「………」 「あ」 無言になった土方さんを見て、俺は小さく声を漏らした。 (そうか、この人) ヘビースモーカーのチェーンスモーカーのクセに、俺が部屋に行くと少しだけ本数が減る。 部屋の小窓が、俺がいる時には細く開けられている。 風向きを気にして、なるべく俺の風下にいようとする。 そして。 そして。 許さない。 (考えてくれてたのか…姉上の肺のことがあったから) 俺はちょっと泣きそうになって、隊服の内ポケットから、煙草の箱を取り出して土方さんに差し出した。 土方さんはすぐにソレの封が切られていないことを確かめると、安心したように溜息を吐く。 「なんでこんなことしたんだ?」 「…いつも、吸ってるからでさァ」 「あ? それだけか?」 「アノ後ですら吸ってるから、どんな味なのかって思って」 煙草を持ち出した時には俺にも解らなかった答えが、何故かすらすらと出てきた。 向かい合った土方さんが目を丸くしている。 「味?」 「そう。味、どんなの…」 俺が言い終わる前に、また俺の隊服のスカーフが引っ張られる。 「そんなモン、もうお前知ってるじゃねーか」 「へ?」 言われていることがよく解らない。 だって俺は煙草なんて吸ったことはないから、味が解る訳がない。 さっきとは違って優しく引かれたスカーフに俺が気を取られていると、いきなり唇が重ねられた。 「んうっ…!?」 びっくりして思わず目を瞑った俺の唇を割るようにして、土方さんの舌が入り込んでくる。 「ふ…ぅ、…んっ」 離れた土方さんの唇が意地の悪い笑みを湛えた。 「こういう味だ。此処に来るまで吸ってたから、まだ味残ってンだろ?」 「!?」 絶句する俺を他所に、土方さんが小さく声を漏らして笑う。 「昔から、テメェは味知ってンだよ。判らなくなってるくらいな」 そう言えば、昔は土方さんのキスは少し苦かったような気がする。 途中からまったく気にならなくなっていたけど。 恐らく俺は赤面しているんだろう。 顔が熱くなっているのを感じる。 「ついでに臭いなら隊のヤツらに聞け。お前の隊服、煙草臭い筈だから」 土方さんの止めの台詞に、俺は撃沈した。 正座の所為で痺れてしまった足で膝歩きをし、座卓を迂回した俺は逆に土方さんのスカーフを掴み上げた。 土方さんは相変わらず笑っている。 そのまま土方さんを力いっぱい押し倒して無理矢理上に乗っかってやった。 そんな俺を土方さんは黙って受け止める。 「煙草なんざ、吸わねェよニコチンマヨラー」 「おう」 土方さんの胸元に顔を埋めて呟いた声は思ったよりも小さくて、自分でも情けなくなってしまった。 「…ありがとう、ごぜぇやす」 もっと小さくなってしまった俺の声に、土方さんが俺を抱え直す。 大きな手でそっと上げさせられた所へ不意打ちでキスが来た。 「何のことだか、解らねぇな」 もう怒ってはいない土方さんの声が不器用な言葉を紡ぐ。 「解らなくていいでさァ」 俺は土方さんの上に乗っかったまま、また顔をその胸に押し付けて、少しだけ笑って、少しだけ泣いた。 |