寂寥野分

 いつものことだったのだ。
 それで済ませば良かったのだ。
 だけどな、総悟、やっぱりモノには限度がある。

 ばしん。

 大きな赤い瞳が更に大きくなって、ぽかんと俺を見つめていた。
 薄らと染まった左の頬が痛々しい。
 「出てけ」
 言っても動くことができないようだった。
 「出てけよ」
 漸く俺に頬を打たれたのだと認識した総悟が刀に手を持っていく。
 「聞こえねぇのか? 出ていけ」
 それだけ放って背を向けると、総悟は、らしくなくバタバタと足音を立てて、俺の部屋から走り去った。

 些細なこととも言える。
 総悟が焚火をした。
 書類で。
 だが、その書類が悪かった。
 最重要とまではいかなかったが、重要な部類には入るものだったのだ。
 過去にも似たようなことをしやがったが、あれは酔った俺が総悟に無体を働いて、更にその記憶を飛ばした翌日だったので何も言えなかった。
 墨で駄目にしたというケースも加えて数えると、悪巫山戯の域で済ますには、総悟は書類への悪戯を重ねすぎていた。
 ふう、とひとつ溜め息を吐く。
 どうしたものか。
 総悟に言って聞かせた所で止めることはないだろう。
 つい手が出てしまったが、直後に刀に手を遣ったことから、多分堪えてはいない。
 俺は指先で火が点いていない煙草をくるくると回していたが、ある考えを思いついた。
 では言わなければ、いいのではないか、と。


 翌朝、朝食を摂っている所へ朝の稽古を終えた総悟がやってきた。
 湯を浴びてきたのが見て取れるほど、亜麻色の髪からボタボタと雫が垂れている。
 「総…」
 髪を拭こうと立ち上がりかけて、止めた。
 何も言わないと決めたのだ。
 秋刀魚に視線を戻してマヨネーズを盛りつける。
 そんな俺の向かいの席に座った総悟は少し首を傾げていたが、そのまま箸を手に取った。
 「土方さん?」
 呼ばれる名にも、答えない。
 食堂はいつになく静かだった。
 食事を終えると、早速総悟のいつもの悪戯が始まった。
 バズーカも刀も無言で避けて、自室へと戻る。
 これで少しは懲りてくれればいい。
 そんな風に考えながら、俺は総悟に声を掛けることなく、数日を過ごした。

 「土方はん」
 気分転換を兼ねて煙草を買いに行った先で、何処かで逢ったのか、一人の女に呼び止められる。
 其方を向いた瞬間、違和感を感じた。
 女の背後を横切った男の動きが、何かおかしいと思ったのだ。
 「また店にお顔見しておくれやす」
 「あ? ああ、その内な…」
 適当にあしらいながら男を見つめていると、女も後ろを振り返った。
 「あれ、あのお方…」
 小さく声を上げた女へ視線を遣って、繋がりがあるのかを探ろうとしたが、相手は客の秘密を守ることに慣れている。
 何の成果も得られない。
 「ウチの姐さんを贔屓にしたはる方どす」
 成程。
 男の素性を知りたければ、店を使えば一発という訳か。
 女と別れた俺は、この後のことをつらつらと考えながら屯所へと戻った。
 人相書きを見てみたが先程の男のものはない。
 山崎を潜り込ませるか、他の誰かを花街へ遊びに行かせるか――。
 嗚呼。
 俺が行けばいいのか。
 過去に行った店だったようだし、俺を知る女がいる。
 通っていることにすれば何ら問題は――…あった。
 総悟だ。
 公になっていない捜査の内容がコレだ。
 説明して果たして納得するか。
 「…別に話す必要はねぇか」
 そう決めつけたのは、急いでいたということもあったが、白粉嫌いを極めている総悟が面倒臭いという気持ちも何処かにあったんだろう。

 情報収集は中々うまく行かなかった。
 男は夜な夜な花街にやっては来るのだが、部屋にしけ込んで終わる。
 そうなってしまうと当然俺も、俺を知る女の部屋で茶を飲むくらいしかできない。
 コポコポと小気味良い音を立てて注がれる茶は何杯目だろうか。
 差し出された湯のみを受け取りながら、隣の部屋の音を窺う。
 と、懐の携帯電話が震えて着信を知らせた。
 山崎からだった。
 『副長、何処にいるんですかァァァ!? すぐ戻ってくださいィィィ!』
 「なんだ? 何かあったのか?」
 『お、沖田さんが――…』
 慌てている所為でボタン操作を誤ったらしく、そこで通話が途切れた。
 総悟に何かあったのか。
 だが、此処を迂闊に離れる訳にもいかない。
 折り返してみたが、山崎も俺へ掛け直しているのか、繋がらない。
 取り敢えずもう少し状況が知りたいので、近藤さんへと連絡を入れることにした。
 すると俺からの電話を待ち構えていたかのように、ワンコールしない内に大声が聞こえる。
 『トシィィィ!』
 「近藤さん、何が」
 『総悟がっ! 総悟がぁぁぁ!』
 まさか、斬られたとか、そういう話じゃ――。
 『総悟がぁぁぁ! グレちゃったぁぁぁ!』
 「……は?」
 グレるも何もアイツは元から正常な神経をしていないのだから、今更何かをしたからと言って驚くようなことがあるのだろうか?
 詳細を聞き出そうと近藤さんに問い掛けるも、泣き出してしまって話にならない。
 何とか宥めてみれば、この数日は出歩く夜が続き、今夜に至っては帰ってきていないとのことだった。
 「何やってンだアイツは…!」
 携帯電話を握り締めて怒りを遣り過ごしていると、一連の遣り取りを聞いていた女が声を掛けてくる。
 「可愛いお人じゃあらしまへんか」
 「可愛くねぇ!」
 言い返した俺を見て女はふっと笑った。
 「解らしまへんの?」
 「何をだ」
 謎掛けをしている場合ではない。
 一度屯所へ戻ろうと勢いよく立ち上がると、弾みで湯のみが倒れた。
 悪いことは続くものだ。
 湯のみを拾おうとした時、同じようにそれに手を伸ばした女の着物の袖に見事に足が引っ掛かった。
 慌てて両手をついて女を潰すのを回避し、ほっと息を吐いたその時。
 「ちょっと! お客さん、困ります…!」
 店の者の焦った声と同時に、すたんと襖が開いて、地獄が訪れた。
 総悟は赤い瞳を軽く見開いて、俺と女の姿を見つめていたが、ややすると凄まじい勢いでその場から立ち去った。

 解らないのか、と女が問うたのはこのことか。
 総悟は、夜に消えてしまう俺を、探していたのだろう。
 いくら怒っていたとは言え、馬鹿なことをしたのかもしれない。
 何せ俺が総悟を徹底無視したのは、これが初めてなのだから。
 しかも今の様子では、絶対におかしな方向へ行った。

 急いで屯所へ戻り、これまた急いで玄関を上がった所で近藤さんに捕まった。
 「トシ!」
 「総悟は?」
 「帰っては来てるんだが、それが…」
 廊下をどすどすと歩いて総悟の部屋まで行き、襖を開こうと手を掛ける。
 「あ?」
 開かない。
 「総悟、出てこないんだよ…」
 しょぼんと俯いた近藤さんの後ろから山崎が顔を覗かせた。
 手にはおにぎりがのった盆がある。
 「沖田さん、おにぎり持ってきましたよ」
 「総悟、出ておいでー」
 静かなままの部屋に呼び掛ける近藤さんと山崎の姿を見ていた俺は、段々と苛々してきて煙草に火を点けた。
 騒ぎがデカくなったことに、さっきの一件が関係しているのは明白だが、俺以外の人間を巻き込む必要はない。
 まるで、子供だ。
 煙を吐き出し、その場を後にした。
 此処は二人に任せた方がいい。
 今、声を発すれば、酷いことを言ってしまうと、思った。

 自室に戻った俺は総悟のことを考えようとしたが、連日の花街通いでの寝不足が祟って、思考がバラバラで纏まらなかった。
 ただ、マズイということだけは、はっきりしている。
 そこへ再び携帯電話への着信があった。
 見知らぬ番号からだったが、出てみると、あの女の声がする。
 『土方はん、ごめんなさい』
 「やっぱり何の関係もない男だったのか」
 俺はこの数日で得ていたひとつの可能性を提示した。
 『ごめんなさい』
 「なんで、こんなコトした?」
 問うてみたが、どうせ、逢いたかったとでも言われるのだろう。
 そんな中、誰か――総悟――が俺を探している上に大層機嫌を損ねていると判り、俺がそれを許容していると気づけば、流石に手を放すしかない。
 『土方はんの可愛いお人は…』
 言葉をすべて聞く前に、電話を切って放り投げる。
 座っていた姿勢からがくんと文机に額がついた。
 「眠ぃ…」
 そう思ったのはきっと、取り敢えず総悟が屯所に戻っていることで安心したからだ。
 様子を見に行くか、一時眠るかをぼんやりと思っていたため、かたん、と小さな音がしたことに気づかなかった。
 次の瞬間。
 物凄い衝撃を体が襲った。
 天井が目に入り、仰向けに引き倒されたのだと解る。
 刀に手を伸ばす間もなく、相手が馬乗りになってきた。
 「てめぇ…何モン――…」
 「黙りなせェ」
 上に乗った総悟が、俯いたまま、俺の黒い着流しの衿を掴む。
 「何してンだ…?」
 「喋ンじゃねェ!」
 言い様、強く頬を張られた。
 こうなってしまった総悟には言葉が通じないのは経験上知っている。
 どう出ようかと迷う前に、総悟の息が不自然に乱れていることに気づいた。
 「具合、悪ぃのか?」
 「黙れって言ってンだろィ!」
 しかし黙れと言われても、明らかにおかしな息遣いが気になって仕方ない。
 そっと総悟へ手を伸ばそうとした俺は、その行動に固まった。
 ばさり。
 纏っていた単を畳へ落として、白い肌を隠そうともしない総悟は、俺の着流しの裾へ手を滑り込ませてきゅっと握ってくる。
 「な…っ?」
 「黙れ!」
 叫んだと同時にその手がゆっくりと動き出した。
 「……ッ」
 「アンタなんか、もう、喋ンな」
 ぽつりと言われて、自分がどれだけ総悟に苦痛を与えていたのかを、理解した。
 順序立てて説明しようと思っても、動く手がどんどん速くなっていくので、どうにもならない。
 勃ち上がったモノを見下ろした総悟が、俺の体を跨いで膝立ちになった。
 まさか。
 ぐっと、総悟の中に入る感触がする。
 「ん、ん…っ」
 いつもよりも小さくて可愛い喘ぎが聞こえて来たが、そんなことより、スムーズに挿入ったことの方に驚いた。
 ちら、と、頭を過ぎったのは、部屋に来た時からの総悟の乱れた息。
 自分で解してきたんだろう。
 その姿を想像してしまい、眩暈がした。
 総悟が俺の腹に両手をついて、腰を持ち上げる。
 上下する肢体から受ける快感は、総悟が滅多にこの体位をしないこともあって、視覚的にもキた。
 「ん…っ」
 髪を乱しながら動く総悟の体が落ちそうになるのを、何度か支えようとしたが、案の定手を叩き落とされる。
 言葉を掛けようと口を開こうとすれば、頬を叩かれる。
 「……っ。……っ」
 そしてとうとう自分まで声を殺してしまった。
 声を我慢するものだから、自然と動きは遅くなり、生殺し状態の俺は殆ど無意識に下から総悟を突き上げてしまう。
 「あ!」
 漏れた総悟の声に釣られるようにまた腰を動かした。
 「ひ、あう! やめ…っ」
 言われた通りに無言ではいたが、徐々に大きく揺さぶり始めると、総悟は一人ではどうにもならなくなったようだ。
 だが。
 「アンタ…っ。あ、んんっ」
 喘ぎながらも必死に何か言おうとしていた。
 言いやすくなるようにと、一度止まる。
 すると、赤い瞳いっぱいに涙を溜めて、総悟が叫んだ。
 「アンタは! アンタは誰のモンですかィ!?」
 思わず息を飲んだ。
 「魂は仕方ねェ! そりゃ俺の魂だって真選組のモンでさァ! だけど他は…他は!」
 ずっと前に。
 俺と総悟は互いに約束していた。
 『魂以外なら、他は全部、やる』と。
 総悟はそのことを言っている。
 「言ったのに! アンタは誰のモンなんですかィ!?」
 いきなり体を起こして滅茶苦茶に動き出した総悟に、俺の方がついていかない。
 「…くっ」
 持っていかれないようにしながら、ぼろぼろ涙を零している綺麗な顔を両手で包んだ。
 「ん、んっ! 馬鹿ァ! 土方、クソヤロ…あ、う!」
 俺を罵りながら、俺の上で泣いて悶える、こんな激しい総悟を見たことはなかった。
 「テメェが見たのは、張り込み現場でコケた俺だ」
 「……っ?」
 「しかも、アテが外れてた」
 ぴたりと総悟の動きが止む。
 「だから、今も先もずっと」
 目を丸くしている総悟を、そっと揺さぶると、ひ、と声が上がった。
 「お前のモンだ」
 「でも女と――あ、ヤ、うああ!」
 今度は奥まで思い切り突いて黙らせる。
 衝撃を食らって、総悟は自分が何をしているのかを漸く落ち着いて振り返ったようだ。
 その証拠に瞬間湯沸かし器のように顔が真っ赤になっている。
 「…あ、アンタが、喋ンないのが、悪ィ…」
 「悪かった。でもお前も悪ぃ」
 無視していたことについては俺も反省はしていた。
 しかし、元はと言えば、総悟が書類で焚火をしなければよかっただけのコトではないか?
 「お、俺の何処が悪ィんでィ! …うう、あっ」
 恐らく無視された理由に気づいたのだろうに、まだ謝ろうとしない。
 俺は限界を堪えて再び動くのを止めた。
 こうなりゃ。
 「動け」
 言い放つと総悟は、口をぱくぱくと動かし、声なき声で抗議した。
 「俺はお前のなんだから、好きにしろよ、ほら」
 唇を噛みしめる総悟は、明らかに焦れている。
 俺の方にもそうそう余裕があるわけでもない。
 奇妙な根競べに負けたのは、総悟だった。
 もそり、と白い体が動く。
 総悟の指に指を絡めると、腰がゆっくりと上下し始めて、嬌声が零れた。
 「ん、はぁ…っ。ひじかたさん…」
 目の前の痴態に頭痛すら覚える。
 躊躇いがちだった動きはすぐに速くなった。
 「…っ。そうご」
 そっと総悟の前を撫で上げて、促す。
 「ひじ、かたさ…あ、あ! うあああっ」
 仰け反った背中を慌てて片手で支えると、俺の腹の上へと総悟が白濁を散らせた。
 同時に強く締めつけられて、俺もすぐに欲を放つ。
 倒れ込んできた総悟は、自分でずるりと俺を抜いたが、一向に顔を上げない。
 今更、恥ずかしいのだろう。
 そのまま身動ぎすらしないものだから、俺の眠気は高まって結局ト○ロのように総悟を腹の上にのっけた状態で、眠りに落ちた。


 部屋に差し込む朝陽がちらちらと顔に当たる。
 光が鬱陶しくなって体を起こすと、まだ早朝と呼べる時間帯だった。
 しかし既に総悟の姿はない。
 俺は取り敢えず風呂に入ることにした。
 ゆっくりと熱い湯に浸かって、眠気と疲労を体から追い出す。
 そうして部屋に戻って煙草に火を点けた時だった。
 うず高く積まれている書類の一番上に、紙飛行機が置いてある。
 どくん、と心臓が鳴った。
 何の書類を一番上に置いていたかを思い出す前に、いつもと同じ言葉が口を衝いて出る。
 「あんのクソガキ…!」
 焚火では、ない。
 墨浸しでも、ない。
 しかし、その書類は松平のとっつぁんに渡し、場合によっては将軍が目を通すものだった。
 「総悟ォォォ!」
 スパーンと派手な音を立てて襖を開いた俺は食堂へとダッシュする。
 視線の先で、総悟は朝食のおかずに出されたチンゲン菜としめじの炒め物を口に運びながら首を傾けた。
 「なんです? 朝から煩い人ですねィ」
 言いながらも箸をそっと置き、逃げる体勢を万全に整えるのが憎らしい。
 「テメェは――…」
 「アンタ俺にナニさせましたっけ?」
 しれっとした顔で言う総悟は、昨日俺が「動け」と最後までを一人でさせたことに腹を立てているのがありありと解る。
 「ソレとコレとは話が別だァァァ!」
 「え? ナニとどれの話が別なんで?」
 ぶちっ。
 堪忍袋の緒らしき物の、切れた音がした。
 「テメェが! 俺に言われた通りに! 最後まで自分でヤっ」

 ばしん。

 真選組随一と言われる速さで俺の頬を思い切り引っ叩いた総悟は、らしくなくバタバタと足音を立てて、食堂から走り去った。
 あれ?
 なんか似たシチュエーションがなかったか?
 一瞬そう思ったが、きっといつものことなのだ。
 俺は総悟をとっ捕まえるべく、方向転換した。
 いつものように。

                               2013.9.20

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