※流血表現があります。苦手な方はご注意ください。 屯所から出て最初の辻を右に曲がり、少し行った所に空き地がある。 立派な屋敷が建っていたのだが、去年、テロ被害の被害に遭った。 テロ被害、の、被害、だ。 攘夷浪士共に占拠された所を兵糧攻めにしていたのだが、途中で痺れを切らしたドS馬鹿がバズーカをぶっ放した。 捕り物自体に影響はなかったものの、お陰で屋敷は取り壊された。 今では庭の名残の緑が伸びて、雑草の無法地帯となっている。 陽を浴びて朝露を反射させる植物は、接待明けのしぱしぱとした目に心地良く映るものだ。 今回の接待は最悪だった。 しつこく身を固めないのかと酔ったお偉方には絡まれ、見合いすりゃいいじゃぁーねぇーかぁーと松平のとっつぁんと近藤さんは話を進めようとしやがった。 紫煙を燻らせながら鮮やかな木々を見ていると、奥の茂みががさりと動いた。 咄嗟に刀に手を遣ったが、それを抜く必要はなく、俺はぴょこぴょこと覗く亜麻色をぶん殴るべく其方へ足を向ける。 慌てた様子で振り返った総悟は、隊服を土で汚していた。 「こんなトコで何してンだ?」 「…昼寝」 「いや今、朝だし、意味解ンねぇよ」 隠すことなく疑問を口にした俺の横を、すっと総悟がすり抜ける。 土の、匂いが、した。 本当に寝転がっていたのだろうか。 「何かあったのか?」 総悟の二の腕を掴んで引き留めると、此方を向こうともしないで頭を横に振り、俺の手を解いてしまった。 足早に立ち去る姿に嫌な予感がする。 恐らく総悟が居たであろう場所まで茂みを掻き分けて入ってみた。 しかし、取り立てておかしなものは、其処にはなかった。 接待の所為で徹夜状態にあった俺は、屯所の自室に辿りつくと布団も敷かずに横になった。 どうせ隊務が始まるまでの少しの時間しか眠れない。 季節柄、寒いことも、構うこともないと思った所で、思考が途切れた。 暫くして、そろそろ根性で起きなければという頃合い。 ふわりと俺の体に掛かる布の感触。 匂いが、した。 土とは違う、総悟の匂い。 離れていく気配のする体に、ほぼ無意識に手が伸びた。 僅かに衣擦れの音がして、総悟が体を横たえたのが解る。 「そうご…」 名前を呼ぶとその体が俺の腕の中に収まった。 「……かィ? それとも……ですかィ?」 何かを呟いている総悟の声が、よく聞こえない。 起きなければ。 そうは思うが意に反して、俺はぽかぽかする体温と、雨ばかりのこの時期にそぐわない太陽の匂いがする体を離すことができなかった。 「そうご」 だが、より密着しようとして抱き締める腕に力を入れた瞬間。 「いい加減起きやがれ土方ァァァ!」 どん、と強く突き放された上、ちゃきりと鯉口が切られる音まですれば、一気に覚醒する。 「テメェはマトモに起こせねぇのかァァァ!」 と。 総悟の顔が真っ赤に染まっていることに気付いた。 「お前、ホントに具合悪いンじゃねぇのか?」 額に手を当てようとした俺の手を総悟が叩き落とす。 「触ンねェで…風呂に入ってくだせェ。白粉臭ェ…」 「接待あったの、知ってただろが」 毎度毎度の遣り取り。 総悟の白粉嫌いにはほとほと手を焼いていた俺だが、それでも風呂に入ろうと立ち上がった。 ひとつ、長い溜め息を吐く。 そんな俺を、総悟がじっと見つめていたことは、知らなかった。 昼からの俺の巡回のルートに今朝通った屋敷の跡地が入っていたことに何やら縁を感じる。 もう一度見ておくには丁度いいかと歩いていくと、飛び出してきた人物とぶつかってしまった。 「おっと、すまねぇ…って、総悟?」 勢いよく衝突したために傾いだ総悟の体を思わず抱くようになっていた俺を総悟が突き飛ばす。 「此処に、何があるンだ?」 強く掴んだ総悟の手首は、答えを聞くまで放す心算はなかった。 総悟は俺の後ろにいた隊士に視線を遣る。 話しづらいのだろうとそいつには先に屯所へ戻るように言った。 「これでイイだろ?」 「…紫陽花が」 「は?」 「紫陽花がもうすぐ咲くンでさァ…」 総悟の赤い瞳に俺が映り込む。 「紫陽花が咲くと、どうかするのか?」 「賭けの答えが」 ゆっくりと伏せられた顔は、酷く頼りなく見える。 賭けと言うが、これでは懸けではないだろうか。 「餓鬼の戯れってヤツで…気にしないでくだせェ」 「帰るぞ」 「へ?」 俺よりも遥かに細い手首をぐっと握り締め、強引に引っ張って、屯所へ引き返した。 このまま一人、賭けをさせては、いけないような気がしていた。 「で、紅ならどうで、藍なら何なンだ?」 説明させようと自室に連れ込んだまでは良かったが、総悟は一向に口を開かない。 「総悟」 「アンタには、解りやせん」 漸くそう言ったかと思えば、立ち上がって出ていこうとしたので、その足を払った。 とすん、と総悟が尻餅をつく。 「言うまで出られると思うなよ」 俺を見る総悟のその顔は酷いものだった。 「何の権利があるってンです!?」 怒り出した総悟に畳み掛ける。 「今のテメェじゃ、一瞬で殺られるぞ」 それ程、酷い顔をしているのだ。 この様子だと食べてもいないし寝てもいないだろう。 道理でこの数日、俺を避けていたわけだ。 「言えよ。紅なら何だ?」 「――本気、でさぁ」 「? 藍は?」 「――遊び、でさぁ」 まさか。 「俺とのコト言ってンじゃねぇだろうな…?」 答えは、ない。 それが答えだった。 「テメェは何考えてやがる!」 冗談じゃない。 紫陽花の色如きで、決められて堪るものか。 張り倒したくなったが、総悟の喉が鳴らしたひくっという音に我に返った。 「俺、男ですよ。何時まで続けるンです?」 「お前が男だとか、女だとか――って今更言わなきゃ解ンねぇのか!」 総悟の肩に手を掛けて強く揺すると、バランスを失った体がどさりと仰向けに倒れる。 自然、圧し掛かるようになった俺を見上げた総悟が突然暴れ出した。 それを全身を使って封じ込める。 「いきなり何だよ! 意味解ンねぇだろ!?」 「だから! アンタには解ンねェって!」 離せ、馬鹿、死ね、マヨラーと、散々罵る唇は、小さく震えていた。 「紫陽花が決めれば、それでイイのかお前は」 女々しいのは俺なのか、それとも占いのようなコトをしている総悟なのか。 「――明日くれェには決まりますよ」 今度こそ、総悟の頬を引っ叩いた。 あの場所で、一人、紫陽花を眺めていたのか。 ただ、自分が男だということを、理由に。 「俺が信じられねぇってワケだな?」 問うてみると、ややして総悟が頷いた。 「なんで?」 「アンタは優しいから、こうなった以上、俺をどうにかできねェでしょ?」 俺は頬を叩いたその手で、総悟の髪を梳く。 一瞬だけ体を強張らせた総悟だったが、あとは大人しくしていた。 「紫陽花が、紅だったらイイんだな?」 再び頷く総悟が、少しだけ笑う。 「食紅とか、止めてくだせェよ?」 「解ってるよ」 解ってる。 でもな、そんなに思いつめていても、そんなに俺が信じられなくても。 「終わりになる前に、お前が解るように、してやるよ」 総悟が、また小さく笑った。 もう解らなくなりやした、と呟きながら。 何がそこまで、総悟を追い詰めてしまったのだろうか。 賭けの答えが出るのだという今日。 空は憎らしいほど晴れていた。 部屋で一人、煙草を指に挟んだまま考える。 ふと見ればその煙草には火が点いてはいなかった。 フィルターの部分を指で弾いていると、部屋の外から山崎の声がする。 「あの…副長。これが届いてるんですけど…」 入るように促すと、おずおずと書類のようなものを差し出された。 明らかに見合い写真だ。 これを渡したかったから、接待で見合いの話を出してきたのか。 根回しが良いというよりも、質が悪い。 「山崎。これ何時届いた?」 この類のものは監察が見た上で、相手の身辺調査もする。 その上で安全と判断されたものだけが俺の元へ来るようになっている筈だ。 「えーっと、十日ほど前になりますね」 「それだ」 「え?」 山崎の手に受け取った写真をすべて戻す。 「総悟、何処行った?」 屯所で唯一俺たちの事情を知っている山崎は、あー、と声を漏らした。 「沖田さんは、今しがた出ていきましたけど」 あの屋敷跡だろう。 俺は刀を掴むと着流しのまま、屋敷の庭の紫陽花と総悟の元へと向かった。 総悟は丁度屋敷の茂みに分け入ろうとしていた。 「総悟!」 白緑の着物の肩がぴくりと跳ねる。 傍まで行くと、総悟は微かに笑った。 「答えを、一緒に、見てくれるンですかィ?」 「そうじゃねぇ。お前、アレ見たな?」 「……」 かさり、総悟の草履が草を踏む。 何も言わずに紫陽花の方へと進む総悟を、俺は何故か止めることができずについて行った。 唐突に胸に、とん、と総悟の後ろ頭が当たる。 総悟の視線の先、開いた紫陽花が、あった。 その色は。 純白。 「なんで…?」 縋るような総悟の声が、可哀想だった。 「賭けにならねぇな」 言うと、総悟が物凄い形相で此方を振り返る。 「アンタなんかに解って堪るモンか!」 「お前だって解ってねぇじゃねぇか!」 俺は総悟を通り越して、紫陽花と向かい合った。 「コレが紅なら本気、だったよな」 すらり、刀を抜く。 刀身に映る自分の顔を一瞬捉えた後、躊躇いなく刃を左手で握り締めた。 鋭く熱い痛みを感じるその手を目の前の紫陽花へと払う。 背後から総悟の短い悲鳴が聞こえた。 白い紫陽花に、赤い俺の血がぱっと散る。 「足りねぇか?」 総悟が刀を持つ俺の右手を押さえ込むように飛び込んできた。 「や、止めてくだせェ! 止めて、止めて…!」 かたかたと震え出した体を、血が汚すのも構わずに、抱き寄せる。 「総悟、お前の答えは?」 呟くように言った俺の背中に、そっと総悟の腕が回された。 充分だ。 すっかり青ざめてしまっている唇を二度、三度啄ばんで、それから深く唇を重ねた。 「お前がいるのに、何で俺がアレを見る必要があんだよ」 「…でも」 「でも、じゃねぇよ」 総悟の目がぱたぱたと血を流している俺の左手を見つめる。 「アンタ、馬鹿でさァ」 「馬鹿にでも何にでもなってやるさ」 だから。 「…信じてくれよ」 細い肩に顔を埋めた。 それしかできない。 総悟が、ほんの少し身動ぎをしたのが、怖かった。 だが。 「…信じまさ…」 小さな小さな声を聞いた俺は、総悟の体が折れそうなほどに抱き締めた。 ぽつり。 晴れていた筈の空から落ちてきた雨は、俺の血を洗い流してしまうだろう。 でももう、総悟は、紫陽花を見なかった。 |