こんな俺など、俺はヤだ。 アンタもきっと、イヤな筈。 桜を揺らす風の音が耳に障って、だけど、実際問題俺は自分の状態に必死で、すぐにそんな音など聞こえなくなってしまった。 今から一年ほど遡った桜の舞う夜、俺は土方さんと初めて体を繋げた。 俺にはその時、セックスというものなどにはまったく知識がなかった。 そのままで行為に及んだ。 勿論強要された訳ではない。 それどころか求められた訳でもなかった。 土方さんは、寧ろ、止まろうと必死だった。 それを俺が押し切った。 「俺を抱きなせェ」と、その意味も知らずに。 俺はアイマスクを押し上げて、溜息を吐いた。 あの夢を、見た。 悪夢でなどある筈もない、甘い夢。 現実であれから何度肌を重ねたか、もう解らない。 それでも、あの夢を見る。 そしてそれは俺にとっての合図だった。 ――頭の中で桜が舞う。 俺は自分の部屋にかけてあるカレンダーを見上げる。 「あんなの、もう、無理でィ…」 夢に出てきた相手は、現在、多忙を極めている。 プライベートでは顔を合わせることもない。 仕事柄、そんなことは珍しくないのだが、あの夢を見てしまった。 俺はもうひとつ溜息を吐いて、眠ることはできないとは思いながらも布団を被った。 結局それから数日経った今、眠れない上に食欲すらなくなった。 悩みの内容は非常にくだらないものなのかもしれない。 ――頭の中で桜が舞う。 問題はそれを行動に移したくない俺にある。 そしてそれを実行した時の、土方さんの反応を考えた。 考えて、考えて、俺は、ただ恐怖を感じていた。 その日、夜勤だった俺は巡回という名の散歩へ出ようとした所で山崎に呼び止められた。 「沖田さん、副長が部屋へ来るようにって…」 「…ザキ…てめぇ、余計なコト言いやがったな」 思わず抜刀しかけた俺に、山崎が悲鳴のような声を上げる。 「これ以上食べないと倒れます! その顔じゃ、寝てもいないですよね!?」 山崎は山崎のクセに、俺の様子をしっかり見ていて、それを土方さんに伝えていた。 無視することもできた。 今行けば何を口走るか解らないのに。 行かない方が、いいことなど、解っているのに。 その部屋の襖をいつもの俺を装って勢い良く開けた。 「座れ」 土方さんが静かな声で、だが絶対だという空気を纏って俺に言った。 俺は言われるがまま土方さんと向き合うように座るしかなかった。 「山崎から聞いてる。何やってンだ、お前は」 返事もせず、顔を上げることもしない俺に、徐々に土方さんがイライラしていくのが伝わってくる。 当然だと、思う。 思って…………。 …………? 「おい! 総悟!?」 一瞬目の前が真っ暗になった俺は、次の瞬間には土方さんの腕に抱えられていることに気づいて、音を立てそうなくらいに体を強張らせた。 「…っ」 全身が沸騰するような錯覚に陥る。 「お前…熱あるんじゃねぇか?」 (違う。アンタが触るから、熱くなったんだ) ――頭の中で桜が舞う。 (言いたくない) 「ひじかたさん……嫌わないで…くだせェ」 土方さんは俺を抱えたまま、意味が解らないという顔をした。 ――頭の中で桜が舞う。 (言いたくない!) 「……俺…」 流れる沈黙が俺を突き刺す。 ――頭の中で桜が舞う。 (言いたくない…!) 「……俺…っ」 「言えよ、総悟」 頭の上から降ってきた声があまりに優しかったので、俺は反射的に土方さんの首に手を回した。 「早く言え」 あの桜の舞う夜以来、俺は一度もその言葉を言ったことは、なかった。 だけど、触れられていない体が、もう限界だと俺に言う。 「言えって」 土方さんが尚も促す。 多分、この人は、解っている。 何もかも見透かして、いる。 俺のこの浅ましさが嫌になったから、言わせるのか? 俺のことが嫌いになったから、俺がヤなあの言葉を、言わせるんだ。 もう、ヤだ。 こんな俺、俺はヤだ。 だから。 アンタも、ヤなんだ。 なら、もう、言ってしまえ。 「土方さん――…抱いて、くだせェ」 こんなコトを言ったら嫌われるのは解っている。 俺はなんて浅ましいのだろう。 ぎゅっと目を瞑ったら、涙が零れた。 土方さんは片手で俺を抱き直して、もう片方の手で俺の隊服のスカーフを抜いた。 「あん時以来、お前から言ったコトなかったよな」 言いながら土方さんは俺の隊服の上着とベストを取り払っていく。 そこで俺の視界はくるりと回った。 背中に硬い畳の感触がする。 擦れないためだろう、畳と俺の背中の間に、座布団が差し込まれた。 「お前、体調不良で今日は休みだ」 鬼の副長らしからぬ勝手な言葉と一緒に口吻けが落ちてきた。 「だが…止める気はねェ」 苦い顔をする土方さんにもう一度抱きついたら、俺の目は壊れたのか涙が止まらくなった。 でも、ねぇ、ひじかたさん。 ――頭の中で桜が舞う。 こんな、おれでも、きらわないでくだせぇ。 「ん…。ふ、ぁっ」 既に隊服は服の意味を成していなかった。 俺の鎖骨に少しだけ歯を立てる土方さんの息が、首筋にかかってくすぐったい。 くすぐったいと思っている首筋の、恐らく隊服で隠れるだろうぎりぎりの所を強く吸われた。 触れられている胸元がびりびりする。 今度はびりびりする、と思った胸元に、土方さんの舌が下りて来た。 ふいに土方さんの手が当たった脇腹が、疼く。 そう思ったら、そこを何度も撫でられた。 「…っんぁ! な、んで?」 「あ?」 土方さんは顔を上げることなく俺の問いかけに問いかけで答える。 「ん…ぅ。なんで…っ。わかンの?」 「何が?」 何が、と問われて体がかあっと熱くなった。 そっと土方さんを見たが、そこにはいつもの意地悪そうな笑みが、ない。 そこで、いつもと違う、と思った。 性急に俺を溶かして、どこか怒ったような表情を浮かべる土方さんが少し怖かった。 俺が、あんな…あんなコトを言ってしまったからだろうか? 撫でられていた脇腹に軽く口吻けられて、俺は思わず体を捩ってしまった。 「お前が、触られたいトコなんざ、解ってンだよ」 言われるのと同時に土方さんの手が俺の下腹部に触れる。 「う、んんっ。……はっ。あ…」 既に熱を帯びていた俺自身を緩く握りこむ手は忙しなく動いて、俺は達してしまうのが早いとか遅いとか、恥ずかしいとか、そんなことを考える間もなく吐き出した。 息を整える暇もくれない大きな手が俺の脚を緩く開く。 土方さんが、俺が放ったものを指に纏わせてそっと俺に挿れてきたので、その感触に大きく体が震えてしまう。 「……ぅああ!」 その指が中の一番弱い所を掠めた所為で、俺は思わず高い声を上げてしまった。 同時に指が増やされていく、それが繰り返される。 「んぁ…あっ! ひじか…さっ。やっ、ぃや…!」 立てた膝が、がくがくと震えているのは解っているけれど、どうしようもなくて俺の頭は真っ白になりそうだった。 「だから、やじゃねぇのに、やって言うなよ」 「だ…って、あ! …やああっ!」 其処から指を引き抜かれ、土方さんが俺の脚を更に開かせて腰ごと抱え上げる。 「総悟」 呼ばれても、俺は、頷けなかった。 ――頭の中で桜が舞う。 「総悟」 「う、あッ! ――ッ!」 土方さんが俺の返事を待たないで入ってきたので、俺は飛びそうな意識を必死に手繰り寄せた。 いつもならそれ程の痛みはないけれど、今日はかなりの痛みが走る。 それほど土方さんは、いつもよりも荒く俺を抱いている、と思った。 (やっぱり、嫌われた) 最初こそ慎重だったけれど、途中からは一気に貫かれた。 「ぅ、あああッ! …は、あっ。はッ…」 「息、しっかりしろよ」 優しい言葉は、いつもより低い声だった。 言われて息をしようとした時に、土方さんが動き出した。 土方さんに動き始められたら、息どころじゃない。 「ま、待って、くだ…せ! う、あぁっ」 答えてくれずに、動く土方さんが、怖くて。 (やっぱり、嫌われたんだ) そう思ったら、その事実が、怖くて。 俺は自分の手を噛んで、これ以上漏らす声が大きくならないようにすることしかできなかった。 あんなコトを、自分から言ってしまった今日は、もう、いつもとは違うのだ。 ――頭の中で桜が舞う。 「お前、今日…感じすぎじゃね?」 やっと降ってきた言葉に、俺は愕然となった。 「ひじか、たさ…っ! …ヤだっ! ヤでさ…! ヤ…ぅ」 「何がそんなに、ヤ、なんだ?」 流石に土方さんが顔を顰めて動きを止める。 「俺! …俺が、俺をヤ、なんでさァッ!」 抱いてくだせェなんざ言う俺はヤだ、と切れ切れに言った瞬間、深く突かれた。 「ひっ!」 「あの、なァ…総悟っ。そんなん、言われたら、フツーは」 今日はいつもと違うのに、なのに俺はいつものようにただ喘ぐ。 「…後で、説明、してやるっ!」 そう言った土方さんはまた俺自身に手を添えて動かした。 土方さんの動きが早くなって、俺の耳元に荒い息がかかって熱い。 腰をぐっと引き寄せられて深く、強く、奥を突かれた。 意識が真っ白に塗りつぶされて、俺が達した後、中に土方さんの熱が放たれたのを感じた。 乱れた呼吸が整っていくと共に、俺はどんどん居た堪れなくなってきた。 土方さんは煙草も吸わず、逃がさないというように俺を離してくれない。 その俺の体は、いつもと違った土方さんの所為で殆ど力が抜けているから、座っているのがやっとで逃げることなんて無理なのに。 「何がどうして、ヤなんだよ?」 「……だって、俺」 問われて答えようとしたが、俺は怖くなってきて顔を伏せた。 「総悟」 黙った俺を土方さんはどう思うだろうと考えた瞬間に、俺の顔はいきなり上げさせられて、嘘も沈黙も許されない視線に晒されることになった。 「あ、んなの言って…俺ヤでさァ。あんなのまるで…」 (まるでいつも欲しがってる情欲に塗れた) 「…ただの、淫乱、じゃないですかィ」 土方さんが小さく息を飲むのが解った。 その息の音が酷く悲しい俺は、あの桜の舞う夜と変わらない愚かな子供なのだろう。 ただ違うのは、快楽を知らなかったかそうでなくなったか、だけだ。 「お前…それで自分から、言わなかったのか?」 土方さんは、今度は溜息を吐いた。 俺を抱き締めていた腕は外れて、代わりにその手が俺の両の頬を包む。 「総悟、あんなん言われたらなァ…」 その先を聞きたくなくて、俺は目を瞑って耳を塞いだ。 しかし、耳を塞いだ俺の両手はすぐに土方さんに外されてしまう。 「あんなの、聞いて、淫乱って思って……だから酷くしたんでしょ?」 「ハァ?」 変な声を出した土方さんを、俺はつい見上げてしまった。 切れ長の目は見開かれて俺を見つめていたが、また怒ったようになって逸らされる。 「思ってねぇよ。つーか、悪ィ。がっつきすぎた」 「…………へ?」 今度は俺が変な声を出してしまった。 「お前な、アレ言われたら余裕なくなるだろ。フツーがっつくだろ」 「嫌いになった…んじゃ、ないんですかィ…?」 はあーと深く息を吐いて呆れた様子を見せる土方さんを、俺はぼんやりと見つめる。 「お前やっぱバカだろ!? 好いたヤツに『抱いてくれ』と言われりゃ、冥利に尽きるってモンなんだ!!」 嫌ったんじゃなくて、余裕がだな…と繰り返される土方さんの言葉と、相変わらず怒っているように見える顔が、俺に、やっと、色々な意味を教えてくれた。 頭ははっきりしてきたのに、視界がぼやける。 土方さんがそれを拭って少し笑った。 「大体、その方式でいくと、毎回押し倒してる俺はどうなるンだよ?」 そのまま俺の頬を辿る土方さんの指は、よくよく感じてみればいつもと何も変わらなくて、俺は疑問系で与えられた優しい言葉に――…精一杯の俺の『いつも』を込めた。 笑う、ことはできなかったけれど。 涙は、全然止まらなかったけれど。 「獣以外の何物でもありやせん」 精一杯の、俺の『いつも』。 「オイ随分立ち直りが早ェ王子サマだなぁコラ」 俺とは反対に喉を鳴らして笑った土方さんに、とん、と肩を押された。 倒れた俺に土方さんが覆い被さってくる。 「酷くされたって思ったらしいからな。ヤり直しだ」 今度は、頷くことができた。 「…俺から言っても、イイんですねィ?」 「いくらでも」 土方さんが、漸く、ニヤリとしたいつもの笑みを、浮かべてくれた。 ――頭の中で桜が舞う。 あの夢を、見た。 俺は土方さんの部屋の襖をスパンと開ける。 「土方さん、シやしょう」 ばさりと、土方さんが書類を取り落とした。 「お前、今なんつった?」 冥利に尽きる、なんて言うから。 そんな格好良いものを、土方さんだけが持っているのが悔しいから。 「だから、シやしょうって」 何もなかった風にして、俺はそう言ってやった。 「お前なァ…。あんなに泣いといてそりゃ――…」 最後まで言わないまま、土方さんが少し考えるような表情になる。 「なンですかィ?」 「お前にゃ、ソレくれぇが似合いかもな。毎度アレじゃ俺の身が持たねぇ」 言葉の内容はどうしようもないものなのに、土方さんの笑った顔は桜のように優しく見えた。 …この人には、敵わない。 アンタがイイと言うのなら。 こんな俺でも、俺も、イイ。 |