熱愛祭

 午後の日差しはそれなりに心地よいものだが、屯所はあちらこちらから隙間風が吹き込んで、まだまだ寒さが厳しい。
 そんなことを思いながら、ふと筆を休めて煙草を取り出したと同時に、いつもの通り勢い良く俺の部屋の襖がスパーンとスライドした。
 しかし総悟は、何故か俺から視線を外し、襖に手をかけたまま立ち尽くしている。
 暫し続いた沈黙の後、そろりと俺を見た総悟が、小さく発した。
 「土方さん…甘いモン…嫌い…ですよねィ…?」
 途切れ途切れに、探るような、その問いの意味が俺には理解できない。
 「嫌ぇ。知ってンだろ?」
 答えると、突然じわあっと赤い瞳が潤んだ。
 「やっぱり覚えてないんですね…アレ」
 「は? アレ?」
 「…アンタなんか、もう知らねぇ」
 泣きはしなかったが、総悟はバンッと荒々しく襖を閉めて、そのまま俺の部屋から走り去ってしまった。
 「訳わかンねー奴だな」
 舌打ちした俺の視界の片隅にカレンダーが飛び込む。
 「………」
 確認の為にカレンダーを正視した。
 「まじか」
 総悟の問いの意味する所を理解した俺は頭を抱え込んだ。
 バレンタインデーは「俺がもらう側だ」と毎年言い合いになり、縺れ合って終わるため、ハナから互いにチョコレートなど期待していない。
 しかし、去年の2月14日の朝稽古で総悟から一本取った俺は『次のバレンタインにはチョコレートを寄越せ』と約束させていたのだ。
 それを今の今まで、完全に忘れていた。
 「まじでか」
 このタイミングで、恐らく喧嘩、となった以上、今年のバレンタインデーはチョコレートどころか、すべてが絶望的だ。
 そう思ったのと同時に、逆のことを考えてしまった。
 「…そういや、アイツは甘いモン、好きなんだよな…」
 俺は反射的に山崎を呼んだ。

 真夜中の厨房で、山崎に揃えさせたモノをまじまじと見つめる。
 「――…副長、正気ですか?」
 「アァ?」
 「何でもありませんッ!」
 それは山崎曰く『誰にでもできる』という作り方らしい。
 「沖田さんは見張りだけだったけど、副長には教えなきゃならないんですね…」
 「何か言ったか?」
 「何でもありませんッ!」
 ぶつぶつ言っている山崎が、チョコレートを差し出してきた。
 「手っ取り早く言えば、刻んで、溶かして、固めるだけですよ」
 「意味ねーコトすんだなァ」
 渡されたチョコレートを訝しげに見ている俺を他所に、山崎は今度は何やら型になっているモノを取り出した。
 「コレに入れて、固めるんです」
 それを見た俺はチョコレートを取り落とした。
 「おま…っ。ソレ、何だッ!?」
 山崎の手にあるハート型は、女共が毎年贈りつけてくるモノで見慣れている。
 見慣れているが…見慣れているのと使うのとでは、意味も気分も何もかもが、違う。
 「ほかの形を探したんですけど、やっぱりコレばっかりで」
 「………」
 押し黙った俺へ、山崎がにこやかに一言放つ。
 「大丈夫です。沖田さんはそういうトコ突くと、可愛いじゃないですか」
 「………刻んで、溶かして、固めりゃイイんだな」
 俺は高い監察能力を持った部下に従うほかなく、チョコレートを拾い上げた。

 刻んで、溶かして、固めて……鋳造したチョコレートを前に、それでも安堵の溜息を吐く間もなく山崎が指示を出してくる。
 「副長は型から抜くとダメにしちゃうと思うんで…このままでコレいきましょう」
 「まだあんのか!?」
 げんなりする俺の手に、温かくて軟らかい白いペンのようなモノが握らされた。
 「無粋ですから、俺はこれで失礼します」
 「あ?」
 「ペンが軟らかい内に、チョコレートの上にメッセージ、書いてください」
 「あ?」
 「ラッピングはそこのを使ってくださいね。それじゃ失礼します」
 一気に言った山崎は、厨房からさっさと出て行ってしまった。
 「メッセージって…どうすンだよ」
 俺はどうすべきかチョコレートを見遣る。
 メッセージ…総悟に…メッセージ。
 頭を働かせるが、まったく浮かばない。
 ただただチョコレートを睨みつけるだけだ。
 そうしている間にも、ペンは温度を失っていく。
 俺は徐々に焦り始めた。
 メッセージ、メッセージ…。
 「“あいしていますそうごさま”って書きなせェ」
 「ンなコト書けるかよッ!」
 なんつープレイだ!?
 どうやったらそんな恥ずかしいコトが書けるってンだ!?
 大体“そうごさま”って何だそりゃ!?
 ――…あァ?
 「そ、総悟」
 振り向くことができない俺の方へ、気配を殺すことを止めた総悟が、トコトコと歩いてくるのが解る。
 背後で停止した総悟は、チョコレートよろしく固まっている俺の腹へ両手を回してきた。
 「書きなせェって」
 「書けねぇ」
 背中に当たっている総悟の頬が、熱い。
 「なんで書けねぇんです?」
 「ペン、固まった」
 俺の答えに、一拍置いて、震え出す総悟。
 しがみつく腕にはどんどん力が篭って、俺の背中で必死に笑いを殺している。
 「…くく、土方さん、下手すぎ…ッ」
 「っるせーよ!」
 ぴょこんと俺の横から頭を出して、飾りのないチョコレートを見た総悟は、また肩を震わせた。
 「ぶッ! チョコ、小波打って固まってますねィ」
 「もうテメェ食うな!」
 言った瞬間、総悟が体を離して両手を揃え、そのまま俺へと伸ばす。
 「剥き身でイイから、ソレくだせぇ。アンタから、直接ちょうだい」
 俺は総悟とチョコレートを、ちらと見比べた。
 総悟がじっと此方を見ているのが解るが、とても視線を合わせられる状況ではない。
 それでも白い指先が見えるので、そこへ乱暴に型に入ったままのチョコレートを放った。
 受け止めたらしい総悟の指が動く。
 「土方さん、コレ、まだ固まってやせん…」
 「まじか!?」
 思わず総悟の方を向くと、嘘でさ、と言いながら、総悟は素早く型から抜いたチョコレートを齧っていた。
 「はんはほ、ひのひ、はほひひ…」
 ハートの左上の、丸い部分を齧った総悟が、手も口も汚れるのを構わずにチョコレートを握り締め、銜えたままで呟く。
 「何言ってンのか解んねぇよ」
 総悟は言葉の意味を明かさずに俺に近づくと、伸び上がってキスをしてきた。
 俺にチョコレートがつかないように、両手を少しだけ広げたその姿勢は酷く不安定で、俺はすぐに総悟の腰を抱くことになる。
 そうしている間に、口中に広がるチョコレート。
 ちゅ、と音を立てて離れた総悟の、チョコレートに塗れた薄い唇は、少し機嫌が悪いのか、何故か笑んではいなかった。
 「アンタのは部屋にありまさァ。酒入れといてやりました」
 「そんなん、作れンのか?」
 「ネット見れば。…アンタと違って、俺ァ器用なんで」
 赤い瞳が、ゆらりと揺れた気がした。
 「…酒、入れといたら、食えるかと思いやして」
 「気にしてたのか、やっぱり」
 「だって――…ってアンタ、何して…」
 俺は総悟の手にある甘ったるいチョコレートに齧りついて、総悟がしたようにキスをした。
 真ん丸くなって、眇められて、やがて閉じた赤い瞳が、唇を離すとゆっくりと開いて、齧り合ったチョコレートを見つめる。
 「アンタの、いのち、だといい…って、さっき」
 ハート型だから、と言って総悟はまたチョコレートに齧りついた。

 俺たちは夜中の厨房で、チョコレートがなくなるまで、バカみたいにその行為を繰り返した。
 腕に囲った総悟が、俺の命を貪って。
 俺には、甘いのがチョコレートなのか総悟なのか、もう。

                               2012.2.14

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