突き抜けるような青空の下、『観楓会』という名前だけを借りてきた所謂紅葉狩り。 その紅葉狩りという名の所謂宴会が、この季節の真選組の催し物だった。 春の花見と同じように盛り上がる隊士たちに対して、この日だけ、近藤さんと俺は色づく椛以上に美しかったモノを喪失したことを思い知らされる。 そして、美しかったモノを失っても尚美しいモノは、ひたすらに惑う。 「トシ、目を離さないでくれ。何かあったら先に戻ってくれていい」 屯所を出る前、近藤さんが小さな声でまるで懇願するように言う。 「ああ、解ってる。あんたはいつも通りにしてろよ」 それも大将の務めだ、と俺も潜めた声で返した。 俺たち二人の視線の先には、笑いながら山崎を小突いている亜麻色。 その亜麻色の持ち主が、観楓会で俺たちの密かな問題になる。 近藤さんに言われるまでもなく、俺は総悟から目を離すつもりはなかったし、許されるならば宴席だろうが何処だろうが、腕の中に囲っていたいくらいだった。 総悟と誰にも言うことができない関係にある俺がこれなのだから、父親のように純粋に総悟を可愛がっている近藤さんの気持ちはもっと深いものに違いないだろう。 だからと言って、毎年の観楓会から一番隊隊長の総悟だけを外すということは不自然すぎて無理だ。 …総悟は、まだ山崎をからかって遊んでいた。 賑やかに、観楓会が、始まる。 その中で。 総悟の異変は、静かに訪れる。 紅葉を愛でるだの何だのと、俺の横で俄風情を語っている隊士たちがいる。 しかしそれがすぐにどんちゃん騒ぎになるのは間もないことだ。 俺は煙草を銜えて、鬼嫁を抱えた総悟が忙しく隊士の間を飛び回っている姿を見つめていた。 全体の雰囲気だけなら、本当に名前だけが『観楓会』となっているだけの宴会。 実際、近藤さんと俺、そして総悟を除いた隊士たちにとっては、いつもと変わらない宴会なのだ。 周囲が騒がしくなっていく気配を感じるが、俺の耳には徐々に音が入ってこなくなってきていた。 そして、はらり、とひとひらの椛が総悟の胸の辺りを過ぎった時、俺の世界から完全に音が消えた。 地に落ちていく椛を見た総悟の、赤い瞳が色を変える。 常に明るく煌めいて周囲を湧かせ、時には修羅を孕むその瞳が、まったく別の色となった。 総悟はそのまま、すっと、音も立てずに宴席を抜けた。 それを見て近藤さんに目配せをした俺は、煙草を灰皿に押し付け、総悟の後を追った。 宴会が行われている場所からかなり離れた椛の木が茂る中で、総悟は袴が汚れるのにも構わずにぼんやりと座っている。 はらり、はらり、と降りしきる椛を見つめて、薄い唇が数を数えていた。 俺は総悟が本当は何を数えているのかを知っている。 総悟は椛の数に擬えて、これまでに斬った人間の数を数えているのだ。 しかし数を数える赤い瞳は別に狂気に彩られている訳ではない。 ただ、十八という歳相応の色を湛えて、素直に己に恐怖している。 その証拠に、総悟は何があっても手元に置こうとする刀を、今は持ってきていなかった。 ――秋、椛が舞い散る中、総悟は初陣に臨んだ。 総悟が初めて人を斬った瞬間、椛がはらりと落ちてきたのを、俺は今でも鮮明に覚えている。 観楓会は、いつからか総悟にとって「真選組」「初陣」「最初の人斬り」「椛」のすべてが符合してしまうものになってしまっていた。 こんな風になるなら、何とか真選組を抜けさせてやりたいと、近藤さんは真剣に考えたようだが、観楓会を終えた後の総悟は居場所を奪ってくれるなと泣いた。 俺は、近藤さんのようには、なれない。 総悟を手放す? そんなことなどできはしない。 だから俺は残酷な行為を強いる。 美しい純粋を、俺のエゴに塗れた愛しさへ引き戻すという残酷な行為。 俺は鬼だ。 だが、それで上等だ。 そんなことで総悟が傍にいて、あの言葉をくれるのなら――。 総悟の前にしゃがんだ俺は、細い両肩へ自分の両手を軽く置いた。 「総悟、こっち、見ろ」 何度か繰り返して囁くと、総悟がゆっくりと俺の方を向いた。 しかし、決して俺と目を合わせようとはしない。 「総悟、聞こえるな?」 小さく、本当に小さく亜麻色の頭が縦に振られた。 俺は総悟の顔を上げさせる。 それでも総悟は俺の目を見ようとはしなかった。 構わずに俺は言葉を続けた。 「総悟、お前の大将は、誰だ?」 瞬間、びくりと総悟の体が震える。 「総悟、あそこの、騒がしい連中は?」 「――…ッ!」 声のない総悟の悲鳴が、椛の林に吸い込まれる。 俺は答えられない総悟を思い切り押し倒して、その悲鳴を唇で封じ込めた。 反射的に持ち上がった総悟の手が俺の頬を掠めて傷をつける。 「総悟、今お前に、口吻けたのは?」 「………っ」 綺麗に合わせられた総悟の着物の襟を乱暴に開くと、総悟は本能で暴れ始めた。 全身の体重をかけて抵抗を押さえ込んで、俺は総悟の体が折れそうなほどの力で抱き締める。 同時に総悟の袴の紐を解いた。 「総悟、今お前を、抱こうとしてるのは?」 「………ゃあっ!」 そこでやっと総悟から声が上がったので、俺は元々行う気はなかった行為への動きを止めて、再び総悟をただ抱き締めた。 抵抗を見せて強張っていた総悟の体から力が抜けていくのが解る。 様子を伺うと、総悟は目を閉じて、俺の胸に耳を押し付けていた。 多分、俺の心臓の音を、聞いているのだろう。 生きているモノの、生きている音を。 はらり。 椛が総悟に見せているのは、正気と狂気の狭間路。 ――…御用のないモノ通しゃせぬ。 ならばその路を見ていたとしても、総悟が通ることはない。 はらり。 「総悟、お前の大将は、誰だ?」 暫くしてもう一度俺は問うた。 「こん、どーさ…」 俺の問いかけに、舌足らずな、それでも当然だという総悟の答えが返ってくる。 「総悟、あそこの、煩い連中は?」 「し…せ、んぐみ」 う、と声を漏らして、静かに泣き出した総悟の顔を、俺は両手で包み込んで見据える。 「総悟」 大丈夫だ、という言葉を掛けることなどできる筈もなかった。 それが許されないことが何故こんなにも苦しいのだろうか。 最終的に俺は呼ぶことしかできないのだ。 「総悟」 涙を零す赤い瞳が僅かに反応を見せ、自らの意思で漸く俺の目を見た。 同時にまだ頼りない両手が俺の背中に回ってくる。 「ひじか…さっ。ひ、じかた、さん…っ。ひじかたさ…っ」 総悟の嗚咽に俺の名がなだれ込んだ。 「すいや、せんっ! ごめ…なせェ!」 謝罪の言葉を繰り返す総悟の体は、今度は居場所を失くす恐怖にがくがくと震えていた。 「ひじかた、さん…。屯所にっ。屯所に帰りたい…でさ…ァ!」 屯所が帰る場所なのだと、今は椛を見たくないのだと、総悟は目を閉じて力いっぱい俺にしがみついてきた。 総悟を連れ帰った屯所は、当然だが、しんと静まり返っていた。 そこに響いたのは、総悟の、普段は押し殺す色のついた声と、俺でさえ滅多に聞くことはない盛大な泣き声だけだった。 ひとしきり喘いで泣くだけ泣くと、総悟は落ち着きを取り戻したが、冷静になった分だけ逆に不安な様子を見せた。 「すいやせん、でした…」 「…そりゃ近藤さんに言うんだな」 尚も謝る総悟に、俺は酷だと思いながらもそう言った。 俺の腕の中で、総悟が頷きながら微かに震え出す。 「俺、なんかに好かれて、アンタ…大損してまさァ。やっぱり馬鹿、でさ」 震えたままだが、総悟はいつもの調子を取り戻そうと必死だ。 「お前の方が、鬼に好かれて不憫だろ…って誰が馬鹿だコラ」 思ったままを口にして愛しい亜麻色に顔を埋めると、色を取り戻した赤い瞳が俺を見上げた。 総悟の唇が動く。 「…アンタのような鬼、好いて好かれて、本当に、俺は倖せモノですねィ…」 待ち侘びたその言葉に口の端を吊り上げた俺へ、総悟が珍しく自分から口吻けてきた。 「でも土方さん。アンタのようなお人のことを、誰も鬼とは思いませんぜ」 ゆっくりと唇を離した総悟が、予想外の言葉までを放ったので、俺は思わず総悟を抱いていた腕に力を込めた。 はらり。 椛が舞い落ちる音が、俺の耳に届いたような気がした。 それは総悟にも聞こえたのだろうか。 俺たちは同じタイミングで、互いの唇を求めた。 |