祝膳鬼役

 四月末から五月の初めは、大抵の職業の人間であれば大型連休を過ごす。
 その分浮かれた輩の馬鹿げた騒ぎが起こりやすく、各所での催し物がテロの標的になる確率も高まる。
 つまり、真選組にとって大型連休は単に忙殺イベントのひとつでしかない。
 五月四日、本日はパトカーでの見回りだったお陰で徒歩組よりは疲労は少なくて助かった。
 ハンドルを握りながら助手席で煙突のように煙を吐きまくっている土方さんをちらりと見遣る。
 この人は明け方まで大量の書類仕事に追われていて、今にも人を殺しそうなので、外へ出て少しでも気分転換した方が隊士たちの為になると思う。
 「何処か寄りたいトコありますかィ?」
 「…ンだよ、気味悪ぃな」
 あとは屯所に戻るだけだからと気を遣ってやったのに、恐ろしいモノでも見たような顔をされてしまった。
 「別にないならいいですけど」
 土方さんは何か言いたそうにしたものの、タイミング悪く携帯電話が鳴り始めたらしく、一段と凶暴な面構えになる。
 携帯電話を耳に当て言葉少なに遣り取りをしていたが、突然持っていた煙草を落としたので驚いた。
 「――ッざけんな! 何勝手に換気なんぞしてンだ! 帰ったらタダじゃ置かねぇぞ!」
 盛大に怒鳴り散らして通話を切った土方さんは、正しく鬼の形相で此方を向く。
 「総悟、今すぐ屯所に戻れ!」
 「テロでも起きたンですかィ?」
 アクセルを踏み込みながら現在位置から屯所までの最短ルートを考えていると、土方さんがぐったりとシートに体を預けて左手で目元を覆った。
 「……今朝、書き上げた書類…」
 「徹夜してやしたよね」
 「俺の部屋に入り込んだ野良猫が花瓶を倒して水没した…」
 「土方ザマァ!」
 思わず口を衝いて出た俺の本音に、土方さんが勢いよく右手を振り上げたが、運転中だということを思い出したらしい。
 行き場のなくなった右手で重たそうな前髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、項垂れてしまった。
 「マジ勘弁…」
 「いつまでに書き直すんで?」
 「今夜から明日いっぱい詰めて――…六日には提出しねぇとやべぇ」
 萎びた青菜のような土方さんと共に屯所に戻ると、バナナを取り上げられたゴリラのような近藤さんが広間で待ち構えていた。
 「トシ…書類ダメになったって?」
 「ああ、今からまた缶詰になるしかねぇ」
 土方さんの書類の所為で何故近藤さんが落ち込んでいるのか、俺にはまったく解らない。
 副長室の換気をして野良猫を招き入れてしまったのは、別の隊士だと聞いている。
 「明日はどうにもならないか?」
 「無理だ。明後日に仕上がるかどうかって感じで」
 「そうか…。じゃあ、トシの誕生日の宴会は延期ってコトにしとくよ」
 「誕生日なんざ祝う歳でもねぇンだ。気ぃ遣わないでくれ」
 交わされる言葉から近藤さんの落胆の理由は解ったけれど、同時に今回ばかりは俺がちょっかいを出したら土方さんを本当に怒らせてしまうのだと悟った。
 そして、誕生日なのに土方さんが一人きりで仕事漬けになってしまうことにも。
 真っ直ぐ副長室へと向かう土方さんの背中を見つめながら、それでも何とか悪戯ができないものか考えてみたが、すぐには策が浮かばない。
 「こら総悟、トシの邪魔しちゃダメだぞ?」
 俺の考えを見抜いたらしい近藤さんの大きな手が優しく頭を撫でてくれる。
 流石の俺も頷くしかなかった。

 夕食を済ませて風呂から自室へ戻る途中、栄養ドリンクやゼリー飲料をのせた盆を抱えた山崎に会った。
 「それ何でィ」
 「副長の夕食兼夜食ですよ」
 「なぁ、土方さんってちょっと前もそんなんばっか食ってなかった?」
 「今朝少し眠れたみたいですけど、その前は徹夜が続いてましたから食欲も落ちちゃいますよね」
 いつもなら栄養剤や簡易的な食事は「軟弱になる」と言って嫌うけれど、連日の徹夜では頼るしかないのだろう。
 「沖田さんは明日は非番でしたっけ?」
 「でも近藤さんが土方さん弄るなって言ってたし、つまんねェんだよなァ…」
 土方さんの謀で、明日の俺は丸ごと非番になっていた。
 書類の書き直しがなければ、きっと碌な目に遭わなかっただろう。
 「副長の誕生日の宴会も先延ばしですもんね」
 「……」
 「大人しくしててあげてくださいよ?」
 山崎のクセに生意気な台詞を吐くので一発殴ってやろうと睨んでみたが、盆にのった瓶やらアルミパックやらが目に入って気が削がれてしまう。
 「それじゃ、俺はこれで」
 軽く頭を下げてから廊下を歩いていく背中を見送っていたら、ある考えが閃いた。
 きっとあの人は、明日もあんな味気のない食事を摂る。
 大層な料理はできないが、俺は一通り作ることができるから、朝昼晩の全部の面倒を見てやろう。
 そうすれば土方さんはきちんと食事ができるし、俺はくれてやる誕生日プレゼントをどうするか思い悩む必要もない。
 おお、凄ェな、俺ってやっぱ天才じゃね?
 俺は夜遅くまで誰もいない厨房で冷蔵庫を漁り、思いつくメニューをメモに書きつけて、下拵えに勤しんだ。

 朝食は大事だと、いつも近藤さんも言っている。
 だが、いきなりファミレスのモーニングセットのような料理を作っても、土方さんの好みじゃないだろう。
 それ以前に屯所の冷蔵庫にそんな食材は入っていなかった。
 早朝の厨房には隊士たちの食事の面倒を見てくれるおばちゃんたちがいたけれど、隅を借りることはできた。
 出汁をたっぷり使い、卵を混ぜまくってふわふわにする料理は、以前近藤さんに作ってあげて大好評だったから、特別に土方さんにも食べさせてやろう。
 おばちゃんが美味しそうな鯵を一尾くれたので捌いて焼き、新玉ねぎと春キャベツ、豆腐や諸々を入れた具沢山の味噌汁も作った。
 きっと鯵にマヨネーズを掛けるだろうから、マヨネーズに少量の醤油を垂らして和風にアレンジしたソースもつけてみる。
 土方さんの好きな沢庵を小皿にこんもり盛りつけ、うっかり朝から超大作を作り上げてから、非常に拙い事実に行き当たった。
 この朝食を、俺が持って行っても、土方さんは絶対に食べない。
 何かが仕込まれていると疑って口をつけないのは勿論、余計な説教タイムを設けられて、それでは本末転倒だ。
 冷めていく料理を前にどうしようかと唸っていたら、食堂側から朝食ののったトレイを受け取ろうとした山崎が、俺に気がついたらしく厨房を覗き込んだ。
 ばちっと視線が合った瞬間、にたりと笑った俺とは対照的に、山崎は真っ青になっていたけれど、そんなことはこの際どうでもいい。
 「今すぐコレを副長室に運びなァ」
 「沖田さん! 今日は副長に悪戯しないようにって言われてるでしょう!?」
 「だから、俺が持ってったら端から悪戯だと思われるだろィ? ザキなら勘繰る手間が省けらァ」
 山崎は膳を受け取りながら、垂れ気味の目を瞬かせた。
 「え? コレってマトモな料理なんですか…?」
 「煩ェ! 黙って持ってけばいいンでィ!」
 「でも俺、今から朝飯食うんですけど」
 「あァ!?」
 洗っていた包丁を片手に振り返ると、山崎はひぃっと悲鳴を上げて土方さんの部屋へと膳を抱えて走り出す。
 「俺が作ったって言うンじゃねェぞ!」
 「はいィィィ!」
 これで朝食は何とかなった。
 次は十時におやつを食べさせる予定になっている。
 おばちゃんに頼んで蒸し器を借りた俺は、上新粉と白玉粉を練り始めた。
 朝食の膳を下げてきた山崎が、粉を練っている俺の手をじっと見つめる。
 「沖田さんって、ホント変な所ばかり器用ですよね」
 「こんなのインターネット見りゃ書いてあらァ。それよりも」
 「あ、副長は驚いてましたけど『美味い』ってご機嫌で食べてましたよ」
 「ふーん」
 そうか。
 あの人がアレを疑うことなく食べて「美味い」って言ったのか。
 「ザキ、十時にコレも届けてくんね?」
 「あー…すみません。俺、外の仕事があって夕方まで屯所には戻れないんです」
 「え…」
 山崎が不在なら、この後の食事やらおやつやらを持っていってもらえる人がいない。
 黙り込んでいると、山崎は俺が何を考えているのかを察した様子だった。
 「十時には鉄くんに此処に来るように言いますから、ね?」
 「イマイチ頼りにならねェけど、いねぇよりはマシか」
 厨房から山崎が去った後、餅が蒸し上がるのを待ちながら、甘さ控えめのマヨネーズベースの餡を作る。
 葉っぱは早朝に市場まで神山をパシらせて用意させたのでばっちりだ。
 餡を包んだ餅を丸めて柏の葉を巻きつけていると、ドタドタと廊下を走る重たそうな足音が聞こえてくる。
 「沖田隊長! お呼びっスか!」
 「黙ってコイツを副長室に運んで、土方の野郎に食わせてきなァ」
 丸盆にのせた出来立ての柏餅を指し示すと、鉄之助の目が輝き出して嫌な予感がした。
 「隊長が作ったんスか!? 副長のために!? 副長のために作ったんスよね!?」
 「喚くな斬るぞ」
 「凄いっス! 誕生日なのに仕事に追われる副長のために一番隊隊長自ら…って、なんでご自分で持って行かないんですか?」
 俺はボンクラ相手に山崎にしたのと同じような説明をする羽目になる。
 勿論、コイツに全部を話す必要はないのだけれど。
 「土方さんは俺の手を煩わせたと知ったら気を遣うだろィ? だから小姓のテメェが持ってきゃ丸く収まンだよ」
 「うう…っ。流石は隊長っス…感動しました!」
 言うなり鉄之助は丸盆を持ち上げて、廊下を駆け出した。
 「俺が作ったって言うンじゃねェぞ!」
 「はいィィィ!」
 柏餅を作った調理器具を片付けて、今度は本日の献立を書き込んだメモを眺める。
 昼食を作るのは間に合うけれど、誰か土方さんに持って行ってくれる人はいるだろうか。
 ボンクラは食器を片付けに来た時に、訊きもしないのに土方さんの様子を報告してくれた。
 最初は甘いのは嫌だと言っていたらしいが、書類仕事で脳がやられていた土方さんには糖分は有功だったらしい。
 しかも餡をマヨベースにしていたものだから口に入れた瞬間、俄然やる気が出たと張り切っていたそうだ。
 まるで自分の手柄のように話すボンクラにイラついて、思い切り蹴り飛ばしてから我に返ったけれど遅かった。
 怯えさせてしまったらしく、肉付きの良い体を丸めてぶるぶる震え、今にも泣き出さんばかりの勢いだ。
 とても昼飯を運んでもらえる状態ではない。
 溜息を吐きながら軽く手を振り「立ち去ってくれて構わない」と合図を送ると、鉄之助は何度も頭を下げながら転がるように厨房を出て行った。

 昼食は食べる時間を節約するためにも麺類がいいと思って蕎麦を選んだ。
 腹持ちを考えると、かき揚げくらい付けてやった方がいいだろうと、人参やら牛蒡やら、新玉ねぎやらをざくざく切って準備を始めた。
 俺の様子を見ていた厨房のおばちゃんが、パックに入ったむき海老をくれたので、一気に豪華になった――…俺の人徳に感謝しろ土方。
 種を油に入れようかという時、豪快な足音と共に「おばちゃん、水貰えるか?」と近藤さんが厨房へやって来た。
 「あら局長さん、見回りだったの? 暑かったでしょう?」
 「この時期にしちゃホント暑くて…おばちゃん達もちゃんと休憩してくれな?」
 受け取ったグラスの水を飲み干した近藤さんは、ぶはぁっと息を吐き、そこで漸く俺の存在に気づいたらしい。
 「総悟? 何してんの?」
 「あ…いえ、別に……」
 「お! 料理してんのか!」
 一応かき揚げの種が入ったボウルは後ろ手に隠したのだけれども、俺よりもずっと背の高い近藤さんには隠しきれる筈もなかった。
 「なんだ? 蕎麦食いたかったのか?」
 「ええと…あの……」
 口篭っていたら、突然、近藤さんが「あ!」と大声を出して破顔する。
 「もしかして、トシに作ってるのか!?」
 「近藤さん! 静かにしてくだせェ! バレちまいまさァ!」
 「え? なんで内緒なんだ…?」
 ご尤もな近藤さんの疑問に、俺は本日、三度目の説明をするしかなかった。
 蕎麦の上にかき揚げをのせて、対常人モードの分量の七味を混ぜたマヨネーズを小鉢に盛る。
 傍らで見ていた近藤さんが、にこにこしながらそれらを盆に移した。
 「すいやせん。大将にこんなコトさせちまって…」
 「気にする必要はねぇよ。トシの様子も気になるし」
 俺の話を聞いた近藤さんは、自分が土方さんに蕎麦を持って行くと言ってくれたのだ。
 いくらなんでもそれはダメだと言い張ったものの、他には誰もいない。
 最終的には、近藤さんにもかき揚げ蕎麦を作ることを条件として、土方さんへの出前をお願いする方向で纏まった。
 「んじゃ、ちょっと行って来るな」
 「俺が作ったって言わないでくだせェよ…!」
 「任せとけ!」
 近藤さんの分の蕎麦の準備をしながら、おやつの粽のレシピをチェックする。
 簡単に作れる方法を探したから、それ程手間は掛からないだろう。
 ただ、粽を包む竹の皮は入手できなかったと神山が土下座していたから、何か別の方法を考えなければならない。
 何で包もうかと考えつつ、再びかき揚げの種を作り上げた所に、空になった丼を持った近藤さんが戻ってきた。
 まさか、土方さんが近藤さんに食器を下げさせたのかと呆気に取られていたら、近藤さんは察した様子で声を立てて笑い出す。
 「俺が下げるって言ったんだ。トシが此処に来たら総悟は困るんだろう?」
 「あっ。……すいやせん」
 「トシに『何処の蕎麦屋のだ?』って訊かれちゃって、誤魔化すの大変だったぞー」
 その言葉を聞いて、何故か胸がずきりと痛んだ。
 当たり前だが、俺が作ったのだと土方さんは知らない。
 「がつがつ食いながら『毎日食ってもいいかも』なんて言っちゃってさ! 唐辛子マヨも喜んでたし!」
 致死量に近い刺激物を投入しなければ、と言うか、俺が作ったのだと知らなければ、土方さんはそんなに喜ぶのか。
 複雑な気持ちになりながらも、土方さんの様子を嬉しそうに話す近藤さんに、出来上がったかき揚げ蕎麦を手渡した。
 「こりゃ本当に美味そうだ。有難うな、総悟!」
 「いえ、俺の方こそホント有難うございやす」
 かき揚げ蕎麦を手に厨房を後にする近藤さんを見送って、粽作りのためにもち米を研ぎ始める。
 人参や椎茸、筍を細かく刻んで挽肉と一緒に炒め、もち米を投入して調味料と混ぜ合わせたら蒸し器の登場だ。
 竹の皮がないのでどうするか迷っていたら、おばちゃんがまたも助け舟を出してくれた。
 クッキングペーパーなるモノで包めばいけるらしい。
 上手く形になるようにと、包み方も教えてもらえたので助かった。
 蒸している間にマヨネーズに少量のごま油を加えた中華風のソースを作ってみる。
 さて、問題は出来上がった粽をどうやって土方さんの部屋に届けるかだ。
 書類仕事で不機嫌を極めているだろう土方さんの部屋を訪ねる根性のある隊士は多くない。
 しかも俺の事情を汲み取ってくれるような人物になると、殊更限られてしまう。
 蒸し器を見つめながら唸っていると、視界の下の方で隊服の裾が翻ったのが見えた。
 俺の後ろを、こうも簡単に取るなんざ。
 「終兄さん、どうしたんですかィ?」
 音も立てずに俺の横に移動してきた終兄さんがスケッチブックを取り出してさらさらとペンを走らせる。
 『局長に此処に来るよう言われた』
 スケッチブックを俺に見せてから、すっと蒸し器を指差す終兄さんは、近藤さんに言われて土方さんにおやつを届ける役目を引き受けてくれたようだ。
 「頼まれてくれやす? お礼に終兄さんにも粽あげまさァ」
 終兄さんがこくりと頷いてくれるのが嬉しくて、蒸し上がった粽を取り出し、土方さんの分と終兄さんの分を分けて皿にのせる。
 皿のひとつを手に取った終兄さんは片手だけで器用にスケッチブックに文字を書いた。
 『副長にお祝いを伝えるのにも丁度いい』
 「俺が作ったって言わないでくだせェ」
 厨房を出て行く明るい色のアフロの後ろ頭がこくんと縦に揺れる。
 その後、戻ってきた終兄さんはスケッチブックを何枚も使って土方さんの様子を教えてくれた。
 『副長はとても気に入ったようだった』
 『早めに仕事が終わるかもしれないと喜んでいた』
 『災難だと思っていたのにそうでもないと笑っていた』
 ぱらぱらと捲られるスケッチブックは、その次のページで止まる。
 『でも、副長は総悟くんが何をしているのか、とても気にしていた』
 「あ…」
 そうだ。
 今の今まで料理に没頭していたし、それを運んでもらうことばかり考えていたけれど、よく考えたら俺は俺らしいコトをしていない。
 土方さんにしてみれば、普段よりも大人しい俺など不気味なだけだ。
 しかし悪戯をするなと言われたのも事実だし、何よりこの後には夕食の準備が待っていて俺は忙しい。
 終兄さんが僅かに首を傾げた気配を感じ、慌てて取っておいた粽を手渡す。
 「こ、近藤さんに、今日は土方さんの邪魔すんなって言われてるンですよ。だから…えっと、あの」
 しどろもどろになりながら答えると、終兄さんはぽんぽんと俺の頭を撫でた。
 『総悟くんはいい子だな』
 そうスケッチブックに記して去っていく背中に、小さく呟く。
 「俺は、そんなんじゃ、ないですよ」
 だって、本当にそうなら、俺は今日作ったすべての料理を自分で届けられた筈なのだから。

 夕食を運んでもらう人材については、まったく心配していなかった。
 山崎が夕方まで外で仕事だと言っていたので、戻ってくると踏んでいたのだ。
 案の定、食堂に隊士たちが集まり始める少し前に、山崎は厨房に現れた。
 「うわっ。沖田さん、一日中作ってたんですか?」
 「コレ、持ってけ」
 返事を待たずに、マヨネーズをとぐろに盛ったカツ丼と若竹汁の椀、沢庵の小皿をのせた盆を山崎へとぐいぐい押しつける。
 前にカツ丼を作った時には、辛子だの山葵だの唐辛子だのを仕込んだけれど、今日は勿論普通に仕上げた。
 「たった今戻ってきたのに」
 「俺が作ったって言うンじゃねェぞ…」
 今日一日、何度も繰り返した台詞をぽつりと呟く。
 山崎は少し不思議そうな顔をしながらも、カツ丼を副長室に運んで行った。
 きっと土方さんは『美味しい』と言ってくれるんだろう。
 俺が作ったのだと知らないのだし、下手をしたら持って行った山崎や鉄、近藤さんや終兄さんが用意したと思っているかもしれない。
 だから手放しで喜んでいるのか。
 調理器具を洗う手を止めて、ぼんやり考えていたら、戻ってきていた山崎に声を掛けられる。
 「沖田さん、疲れてるんじゃないですか?」
 「…別に」
 「でも顔色があまりよくないですし」
 空になった丼を受け取って洗い始めると、山崎は土方さんの状況を話してくれた。
 「副長、だいぶヘバってますけど、夕食で元気になりましたよ」
 「へー」
 「徹夜せずに日付変わる前には終わりそうだって。『今日の飯は偉大だ』なんて言ってました」
 「あ、そ」
 適当に聞き流す素振りをしていたのに、地味な監察には気取られてしまったらしい。
 「気になるなら、見に行けばいいじゃないですか」
 「トドメに夜食持参して息の根止める予定だぜ?」
 その時間なら土方さんの仕事は終わるらしいので、俺が襲撃しても問題はないだろう。
 「夜食まで作るんですか!?」
 「シュークリーム。但し俺が持って行くから、ハバネロマヨ入り」
 驚く山崎に向き直って、ふふんと鼻を鳴らしながら告げると、困ったような、それでいて安心したと言わんばかりの笑みを浮かべている。
 「最後はちゃんと沖田さんが行くんですね。なら、よかったです」
 「野郎が舞い上がってンなら、きっちり落としてやらねェと、ドSの名が泣くじゃねェか」
 「――…二人とも素直じゃないなあ」
 零した山崎を殴りつけようとしたのが、それよりも早く厨房から逃走してしまった。
 行き場のなくなった拳を解いた所で、腹がぐうと鳴り、作るのに夢中になっていて、味見以外では一日何も口にしていなかったことに気づく。
 カツ丼の残りの白飯を茶碗に盛って茶漬けにして掻き込んだ。
 あとは、シュークリームを作るだけ。
 上手に生地が膨らむといい。

 一息入れてからシュー生地を作ろうと薄力粉に砂糖と卵黄、温めた牛乳を投入してダマにならないように混ぜ合わせる。
 早さが勝負とネットのレシピに書いてあったので、持てる速度をすべて注ぎ込んだ。
 冷蔵庫で寝かせたり、粉をふるったり、鍋で熱しながら練ったりして生地を纏めてオーブンで焼いてみたら、何のことはなくふっくらと焼き上がった。
 本当の本当は。
 流石に誕生日なのだから、素直にカスタードクリームを入れてやりたい。
 けれど。
 「そんなの俺じゃねェ…」
 小さめのボウルにマヨネーズとハバネロを混ぜ合わせたクリームを用意して、シュー生地の底に穴を開けた。
 装填すれば俺らしい逸品が出来上がるのは解っている。
 ハバネロマヨクリームが入った調理用の注射器を構えた俺は、シュー生地を只管見つめながらも、なかなかソレを注入できずにいた。
 土方さんは朝から飯を食って、仕事も捗ってご満悦。
 俺が作ったとは思いもしなかっただろう。
 だって、俺が届ける食べ物には何かしら仕込まれているのが恒例なのだ。
 このシュークリームを俺が手渡すためには、ハバネロマヨクリームを入れなければならないし、土方さんには怒られなくちゃならない。
 料理を持って行ってくれた皆とは違って、俺は土方さんが「美味い」と喜ぶ姿など見られない。
 カスタードクリームを入れたとしても、あの人は疑心暗鬼に陥って逆ギレしてしまうだろう。
 諦めて注射器を握り直した時。
 「最後の最後で台無しじゃねぇか」
 煙草の香りと共に低い声がした。
 ぎょっとして振り返ると、土方さんが厨房の入り口にくたびれた様子で凭れ掛かって、俺の手元を眺めている。
 「アンタ…なんで…此処に」
 「そろそろ本人が来る頃だろうが、余計なコト考えてンじゃねぇかってな」
 「何、言って…」
 「てめぇが持って来るモンには何かしら盛らねぇととか、他の奴らのコトとか」
 不覚にも注射器を調理台の上に落としてしまった俺を見て、土方さんが「図星かよ」と笑う。
 混乱しまくっていたら、いつの間にか傍まで来ていた土方さんにハバネロマヨクリームを没収されてしまった。
 「待って、待ってくだせぇ…。アンタいつから気づいてたんで?」
 必死に紡ぎ出した質問は、俺にとってはとても重要なものだったけれど、土方さんには意外だったのか切れ長の目を軽く見開いている。
 そうして、呆れたようにひとつ息を吐いた後、とんでもない答えを寄越した。
 「朝飯から」
 「は…? 朝って、最初からじゃないですかィ!」
 「あのな総悟。まず沢庵があんなに盛ってあったらおかしいだろ? それに近藤さんが好きな玉子料理もあったし、マヨがボトルじゃねぇのも不自然だ」
 指摘されて頬がカッと燃えたようになり、慌てて手のひらを押しつけて冷ます。
 とても土方さんの方を向く気になれなくて、空っぽのシュークリームの生地に視線を落とした。
 「おまけに山崎はニタニタしてやがるし、鉄は『美味いっスか!?』って煩ぇし、近藤さんはそわそわ落ち着かねぇし、終は堂々と内偵でもしてンのかってくらいガン見してくるし。バレバレだろ」
 「それじゃ…アンタは俺が作ったと知ってて、皆にあんなコト言ったんですか?」
 美味いって、それはともかく。
 やる気が出たとか。
 毎日食ってもいいとか。
 早めに仕事が終わるかもとか。
 今日の飯は偉大だとか。
 あんな、恥ずかしいコトを。
 羞恥からぶるぶる震えている俺の手に土方さんが図々しくも自分の手を重ねてきた。
 「言えば絶対、お前に伝わると思ったから」
 「――死んでくだせェ」
 「台詞が違ぇだろ」
 クソ。
 誰が祝いの言葉なんざ言ってやるか。
 そうは思ったもののハバネロマヨクリームは取り上げられてしまったし、折角焼いたシュー生地を無駄にするのも勿体無い。
 「…普通のマヨネーズ、入れてあげやす」
 取り敢えずシュークリームを完成させようと、土方さんの手を払い除ける。
 だが、シュー生地を手にする寸前、土方さんが背後から俺をすっぽりと抱き込んで、そのままずるずると調理台から引き剥がし始めた。
 「何してンですかィ!」
 「ソレ、いらねぇ」
 「人の厚意を何だと思ってンです!?」
 怒りに任せて睨みつけると、土方さんが酷く真剣な表情を浮かべている。
 その迫力に気圧されてしまった。
 俺を引き摺って厨房から出ようとしている土方さんは表情を崩さぬまま、急に俺の耳に唇を寄せてくる。
 「デザートってンなら、おめぇ食わせろ」
 低く掠れた声で囁かれて、かくんと膝から力が抜けてしまったのを見逃すことなく、土方さんは俺をひょいと肩に担ぎ上げた。
 「ちょ、アンタ、何して…下ろせ! 死ね土方! 寧ろぶっ殺す!」
 「だから台詞が違ぇだろって」
 土方さんはとてもとても嬉しそうに、俺を副長室へと拉致していった。
 結局。
 散々貪られ、息も絶え絶えになった俺が「おめでとう」を言えたのは、土方さんの誕生日が終わって空が明るくなり始めた頃だった。

                               2017.5.29

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