白い部屋の窓から見る空は青かった。 見廻組と派手に遣り合い、手傷を負った俺は、戦いが終わると同時に昏倒したらしい。 確かに見廻組の局長である佐々木異三郎の、剣術と銃を組み合わせた戦法は、厄介極まりなかった。 こんなに酷い怪我をしたのは久しぶりだ。 かなり出血したこともあり、一応傷が塞がるまではと入院させられる羽目になった。 その間、兄・為五郎に手紙を認めようとしてみたのだが、やはりいつものように書きたいと思う事柄は上手く文字には表せず仕舞いだ。 することもなく、時間を持て余す俺を、近藤さんや山崎、各隊の隊長や隊士たちが見舞ってくれた。 屯所の様子は変わりなく、報告書やら始末書やらに追われているのだと、どいつも嘆いている。 今回の件の始末を付けるための書類が、どの程度になるのか想像するだけで、頭痛がしそうだ。 ――ただ、総悟だけは、頑なに見舞いには来なかった。 てっきり見舞いの品に芥子や山葵を仕込んだり、病室の扉をバズーカで吹っ飛ばしたりして、俺を笑いに来ると思っていたのに。 お陰で俺の入院生活は、非常に快適で退屈なものだった。 そんな日々も今日で終わる。 「漸く退院ですね」 荷物を纏めるのを手伝う山崎が、笑みを浮かべて此方を振り返った。 「ああ。こう長くちゃ体が鈍って仕方ねぇ」 「大怪我だったんですから。戻っても無茶しないでくださいよ」 まるで小姑のように小言を連ねていく山崎を横目に、俺は隊服に着替えた。 別に着流しでも構わないとは思うのだが、しでかしたコトがコトだけに、筋を通すためにも隊服で帰屯するのがよいと判断したのだ。 荷物の山から鞄をひとつ持ち上げてみるが、まだ胸元や腕の傷が攣れる。 僅かに顔を顰めた俺から、山崎が素早く鞄を奪い取った。 「俺が持ちますから」 「悪ぃな」 既に担当の医師や看護師たちには挨拶は済ませてある。 山崎は両手に鞄や紙袋を幾つもぶら下げたまま、俺を駐車場へと案内してくれた。 この手の送迎は、総悟がやることが多い。 不測の事態が生じた場合でも、総悟であれば一人で片付けられるからだ。 決して山崎では不十分という訳ではないのだが。 もしかしたら俺は総悟が見舞いに来なかったことを、気にし過ぎているのかもしれない。 緩やかに走るパトカーの窓から、江戸の町並みをぼんやりと眺めた。 屯所では派手な出迎えを受けたものの、やはり総悟の姿は見えない。 何かと理由を付けて飲み会を開く真選組では、その夜、俺の退院祝いの宴が催された。 傷に障るからと俺は飲ませてもらえないのに、何故、全員が潰れるまで飲むのだろうか。 ふと見れば、死屍累々の広間の片隅で、総悟がちゃっかりと鬼嫁の一升瓶を抱え込んでいる。 「オイ、おめぇも飲み過ぎンじゃねぇぞ」 「解ってまさァ。もう寝やす」 「おう」 「おやすみなせェ」 やっと顔を合わせてゆっくり話ができるという場面だったのに、総悟はさっさと部屋へと引き上げてしまった。 それが訝しい。 何か魂胆があるのか、この度の騒ぎに総悟なりに思うことがあったのか。 明日改めて尋ねればよいかと考え、俺も広間を後にした。 翌日から俺は書類仕事に追われることとなる。 まだ体が完全ではないので、警邏で何かあった時に対処しきれない可能性を考え、暫くは内勤に切り替えたのだ。 見舞いに来ていた隊士たちからも報告書や始末書を提出していると聞かされていただけあって、俺の部屋には書類の山が乱立していた。 それらを一枚ずつ改め、署名と捺印を繰り返す。 ついでと言っては聞こえが悪いが、松平のとっつぁんや関係省庁への手紙も認めなくてはならない。 なし崩しになるようにしてはおいたけれど、その規模の諍いを繰り広げてしまった自覚はある。 ご機嫌伺いの書状のひとつでも送らねば、何を言われるか解らない。 しかしその途中、鉄之助が何度も顔を覗かせては、用事の有無を尋ねてくるのには参った。 「副長、肩をお揉みしましょう!」 「いらねぇ」 「副長、煙草買ってきましょうか?」 「いらねぇ」 「副長、部屋掃除しましょうか!」 「だから、いらねぇっつってンだろ!」 「副長、マヨネー……」 「この件、前にもやっただろうがァァァ!」 重たそうな体を蹴りたかったのが本音だが、そんなことをしてしまっては傷が開き兼ねない。 「てめぇは道場で千回素振りしてこい!」 「はいィィィ!」 耐えてはいても苛々することに変わりないので、最終的に怒鳴りつけた。 鉄之助が使命を得たとばかりに駆け出して行く。 これで落ち着いて仕事ができると、俺は文机に向き直った。 どのくらいの時間が経ったのだろうか。 手紙を書いては、書類に署名捺印をし、再提出のものと分けていく。 その作業にすっかり没頭していた俺は、背後に人の気配があることに気付かなかった。 「うお。なんだ、おめぇか。驚かすンじゃねぇ」 「アンタ隙だらけですよ」 「何時からいた?」 「四半刻ほど前ですかねィ」 総悟は二つ折りにした座布団を枕替わりに、ごろりと仰向けに転がったまま返事を寄越す。 「声掛けろよ」 どうやら何もせずにただ転がっていただけらしい。 くあ、と欠伸をした総悟は、俺の手元をじっと見つめた。 「それ全部書類ですかィ?」 「いや。今回のコトが影響しそうなお偉方に手紙も書いててな」 てんやわんやだよと、続けようとしたのだが、それより早く総悟が言葉を発する。 「俺にもくだせェ」 「は?」 小休憩にと煙草に火を点けようとしていた俺の動きは止まった。 「だから、俺にも、くだせェって」 総悟が一言ずつ区切りながら繰り返す。 「何を?」 「手紙」 思い掛け無い申し出に、煙草を取り落してしまった。 火が点いていなくてよかったと思う。 「俺が、おめぇに、手紙を書くのか?」 「へぃ」 「なんで?」 毎日、屯所で顔を突き合わせていて、共に朝を迎えることだってある仲なのに、総悟は今更何を言っているのだろう。 俺のそんな疑問を読み取ったのか、総悟は赤い目に少しばかり苛立ちを滲ませた。 「だって、アンタ色々と手紙、書いてンでしょう?」 「そりゃ仕事の一環だ」 「今回だって、あのボンクラのために、書いてたじゃねェですか」 「あれだって仕事みてぇなモンだろ」 総悟がこういう我儘を言うのは珍しい。 一見すると破天荒で、やれ焼きそばパンだのハンバーグセットだのを奢れと言ってくることはあるけれど、基本的に総悟は自分の気持ちを主張しない。 つまり、手が掛かるように見えるが実際に手は掛からず、その分本音を隠すので面倒事になるのだ。 「手紙を書きゃイイんだな?」 俺の言葉を聞いた総悟が起き上がって、こくりと頷く。 そうして「待ってまさァ」と小さく言うと、部屋を出て行った。 総悟への手紙は一旦後回しにして、俺は山積みの書類の片付けに戻る。 果てしなく続く署名と捺印の作業にうんざりしてきた頃、見計らったように山崎が茶を持ってきてくれた。 「いくら内勤だからって、少しは休んでくださいよ」 「あとちょっとで終わりそうだと思うと、どうにもいけねぇな」 温かい茶で人心地を付けながら、ふと先程の総悟の頼みを思い出す。 半紙を取り出し、筆を手にした俺を見て、山崎は溜息を吐いた。 仕事をしていると思ったのだろう。 「こりゃ息抜きみてぇなモンだ」 「そうなんですか?」 硯の墨を含ませた筆を半紙に走らせる。 文言はすらすらと浮かんできた。 報告書で上がってきていた今回の総悟の戦い方の中で、苦情が出ていたものがあったのだ。 見廻組の副長、今井信女と刀を交えた総悟は、ビルを倒壊させた。 それだけならまだしも、敵方である今井と共に逃げ惑う隊士たちを球のように打ち合い、ラリーしたとの報告が入っている。 正しくドエスの所業である。 総悟に渡す手紙には、その時のことを含めて『市中でのドエス行為を禁ずる』と一筆書いた。 「すまねぇが、コイツを総悟に渡してきてくれねぇか?」 「いいですけど、何ですか? コレ」 「まあ、ちぃとな」 山崎は手紙をすぐに総悟へと届けてくれたが、五分もしない内に暗い顔で俺の前に現れる。 「あの、副長。沖田さん、中は見てたんですが…受け取り拒否だそうです」 「糞餓鬼が」 俺は再び筆を執り、半紙に文字を書き連ねた。 腹が立っていることもあって『上司の命を狙わず、マヨネーズに悪戯をしないこと』と書いたものを折り畳み、山崎へと手渡す。 「また行ってこいってことですか?」 「ああ」 山崎が戻ってきたのは先程より早かった。 足音からして走ってきたのだと解る。 「副長ォォォ! あんた何書いたんですか!?」 すぱーんと襖を開け放った山崎の声と共に、細かく裁断された紙切れが、吹雪のように舞い散った。 総悟のヤツ、手紙を斬り刻みやがったのか。 半泣きになっている山崎に、経緯を話すことにした。 「――というワケで、総悟に手紙を書かなきゃならねぇンだよ」 「で、あんたは禁止事項を書いたんですね」 先程ばら撒いた紙吹雪を片付けながら、山崎がじっとりとした視線を俺に向ける。 屯所の人間は誰一人、俺と総悟の仲を知らないが、山崎だけは例外だった。 だから、相談も兼ねて話したというのに、なんだその顔は。 「何か拙かったか?」 山崎が長い溜息を吐き出す。 「多分ですけど、沖田さんは副長からの恋文が欲しいんだと思いますよ?」 恋文? 総悟が? 反論しようとしたが、如何にも俺が書きそうな二通の手紙は突き返され斬り刻まれと、酷い目に遭っている。 それならば、総悟は本当に、恋文を待っているのかもしれない。 堪らず、俺は頭を抱えた。 生まれてこの方、そんなものを書いたことはないのだ。 それ以来、俺は仕事に忙殺されつつ、総悟に渡す手紙の内容について考え続ける日々を送った。 携帯電話を使って恋文の例文を検索してみたけれど、どれも歯が浮くような文言ばかりが並んでいて、まったく参考にはならない。 うんうん唸る俺を見て、鉄之助は余程重要な懸案を抱えていると勘違いしたようで、寄り付かなくなったのが不幸中の幸いだ。 しかし、こうも難航してしまうと、もう一山仕事を処理した方が何倍も楽だと感じる。 「お茶、持ってきましたよ」 「おう」 事情を知っている山崎が、書店への使いを済ませたらしく、紙袋と丸盆を抱えて部屋に入ってきた。 「よさそうな本はあったか?」 「手紙の文例集って、冠婚葬祭に関するものばかりなんですよね」 言いながら手渡された紙袋を、引き裂くように開ける俺を、山崎が苦笑いしながら見つめている。 出てきたのは恋愛系の女性向け雑誌だった。 「副長は恋愛そのものから学んだ方が早いんじゃないかと思って」 「余計な世話だ」 書店には恋文の例文というものは存在しなかったらしい。 俺は雑誌を文机の端へのせ、湯呑みの茶を一口啜った。 「そうだ!」 何かを思い付いたとばかりに声を上げる山崎へ、視線で続きを促す。 「俳句ならいいんじゃないですか?」 「あ?」 「副長、俳句詠むじゃないですか。それで伝えればいいんですよ」 ふむ、と俺は顎に手を遣った。 確かに俳句なら詠み慣れている。 しかし、待て。 冷静になった俺は、以前、句集を総悟に発見された時のことを思い出した。 「駄目だ。俳句は総悟にとって餌にしかならねぇ」 「どういうことですか?」 「アイツは俺の俳句を、きちんと読み取れねぇンだよ」 句集を片手にけらけらと笑いながら、一句一句を大声で読み上げていた総悟の姿は今でも忘れない。 「あー…えーっと」 「ンだよ」 「いいえ! 何でも! じゃあやっぱり副長が自力で考える他、ないですね」 山崎が何か言いたそうだった表情をきりりと引き締めた。 その言葉に知らず知らずの内に溜息が出る。 「……それしかねぇか」 結局、振り出しに戻っただけだ。 「応援してます!」 山崎が引き攣った笑顔を貼り付けたまま、逃げるように部屋を飛び出して行った。 それから文机に向かうこと数刻。 灰皿には吸殻がこんもりと山を作っていた。 幾ら考えても総悟への手紙の文言は出てこない。 そんなものがすんなり出てくるくらいなら、兄に宛てた手紙にだって文字を認められただろう。 白いままの半紙を睨み付けていると、突然部屋の襖が開かれた。 「手紙、まだですかィ?」 「ノックしろっつってンだろ」 ずかずかと部屋に入ってきた総悟は、俺の傍までやってきて正座する。 「まだです?」 「まだだ」 「何時です?」 「何時かだよ」 首を傾げながら問うてくる総悟に、おざなりに返事をし、俺は筆を硯に置いた。 そうして傍らにある亜麻色の髪をそっと撫でる。 少し長くなっている髪の毛を耳に掛けてやり、白く丸い頬を辿ると、総悟は擽ったそうに肩を竦めた。 「何してンですかィ?」 「別に、手紙じゃなくても」 一度言葉を切って、総悟に口吻ける。 赤い瞳がきょとんと見開かれたのが可笑しい。 「コレで、解らねぇのか?」 総悟はぷいと横を向いてしまった。 「ソレはソレ、コレはコレでさァ。手紙は書いてもらいやす」 「マジでか」 一瞬、誤魔化せるのではと思ったのだが、そう甘くはないらしい。 「難しいコトでもないでしょう。アンタいつも書いてるンだし」 「ソレはソレ、コレはコレだろ」 総悟を真似て返事をしてみるが、意味が解らないという顔をされた。 仕方なく言葉を重ねる。 「勝手が違うんだよ」 「そういうモンですかィ?」 「そういうモンだよ」 ふうんと声を漏らす総悟を見ていた俺に、ひとつ考えが閃いた。 「なあ、総悟」 「何です?」 「おめぇが先に文を書いて寄越したら、返事は必ず書く。それでどうだ?」 総悟は大きな目を瞬かせている。 こう言えば諦めるのではないかと、俺は期待していた。 総悟自身筆まめという訳ではないから、俺に渡す手紙に苦戦して、やめたと言い出すのではないかと思ったのだ。 「もっとフェアにしやせんか?」 「あァ?」 「せーので渡せば、どっちが先だの何だの、関係なくてイイでしょう」 俺の口は開きっ放しになった。 「じゃあ、明日の夜には交換ですぜ?」 総悟は俺を放置して、足取り軽く副長室から立ち去った。 どうしてこうなったのだろう。 一人残された部屋の中、俺は再び、頭を抱えた。 明くる日の夜が来るのは異様に早く感じられた。 畳んだ半紙をもう一枚の半紙で包んだ俺の手紙は、先程から文机の上に鎮座している。 受け取った総悟は激怒するかもしれない。 だが、これ以上、俺にはどうすることもできなかった。 「入りやすよー」 声と同時に襖が開かれたかと思うと、総悟は俺の斜向かいにさっと座る。 「入る前に言えや」 「細かい人ですねィ。そんなコトより」 「わーってる」 総悟の左手には手紙が握られていた。 きちんと書いてきたことに驚いたものの、それだけ俺からの手紙が欲しかったのかと、自分の手紙をちらりと見遣る。 「はい、せーの」 「え! もう!?」 「何処の乙女ですかィ。さっさと寄越しなせェよ」 「おめぇは何処の強盗だよ!」 言い合いながら、総悟と俺は手紙を交換した。 互いの手紙は薄くて軽く、それほど長い文面ではないと知れる。 俺は封を切って中を読もうとした。 「もう読むンで?」 「あ? お前は読まねぇのか?」 問いに問いで答えた俺を見ていた総悟が、受け取ったばかりの手紙へと視線を落とす。 「どうした」 「いえ、別に」 総悟は宛名を見つめたまま、身動ぎひとつしない。 不安になってきた俺は、総悟の手から手紙を奪おうとした。 「ソレ、読まねぇなら返せ」 「ヤでさ」 総悟は大切なものを扱うような手つきで、手紙をゆっくりと撫でる。 「コレは、最期に読むンで」 がつんと頭を殴られたかのような衝撃を受けた。 そんな風に取っておいてもらえるのなら、俺は言葉を尽くしたのに。 「待て。やり直し――…」 「却下でさ」 にべもなく断られて、俺は本格的に慌て始めた。 酷い言葉は書いていない。 俺なりに誠意は込めた。 精一杯の愛情も。 だけど、それらは伝わらなければ意味がない。 そう。 俺は、兄へ送るのと同じように、総悟にも白紙の手紙を渡していた。 「大丈夫ですよ」 あたふたする俺を余所に、総悟が口を開く。 「いや、やっぱ書き直すって」 「どんな手紙でも、伝わりますよ。アンタが俺を大好きなのは」 「あーそうかよ!」 気恥ずかしくなったのが手伝って、俺は半ばやけくそ気味に総悟からもらった手紙を開封した。 そこには。 『死ね土方』 そう一言書かれているだけだ。 お決まりの台詞を書いて寄越した総悟に、思わず笑みが零れる。 「怒らねェの?」 笑いの治まらない俺をぽかんとした顔で見つめながら、総悟が訊いてくるのだが、答えるのも困難だった。 いつもの言葉を書くくらいなのだから、きっと総悟は真っ白な手紙を見ても、すべて悟るのだろう。 「いや、おめぇらしくて、イイじゃねぇか」 「変なの」 こてんと頭を傾ける総悟の、腕を取って自分の方へと引き寄せる。 素直に凭れ掛かってくる体を一度強く抱き締めてから、唇を合わせた。 願わくは、総悟が俺の手紙を読む日が、数十年先でありますように。 |