非日常茶飯事

Arinosuさま主催・2015.11.15発行「ひじおきごはん」に寄稿しました


 月は雲に隠れたり、辺りを優しく照らしたり。
 風が吹いているものだから、暖簾も赤提灯も揺れて、腰掛けた時は少し寒かった気がする。
 クソくだらない上層部の会合で、しこたま嫌味を食らった近藤さんと俺は気分転換をしようと、迎えが来るのを待たずに屋台に立ち寄ることにした。
 それがいけなかったのだ。
 一杯引っ掛けるだけの心算が、二杯三杯と進んでしまい、気づけばどちらも出来上がってしまっていた。
 流石にこれはマズイと、銜えていた煙草を灰皿に押しつける。
 近藤さんも同じことを思ったのか、懐から財布を取り出し、勘定をしようと立った。
 「どうする? 迎えを待つか?」
 屋台の前で携帯を示した俺を見て、近藤さんが顎に手を遣り小さく唸る。
 「うーん、夜風に当たるのもいいんじゃねぇか?」
 「偶には散歩でもすっか」
 酔いも手伝って、迎えに来ると言っていた総悟へ連絡するのを、やめた。
 それらが、すべて、いけなかった。
 真選組の局長と副長が千鳥足で夜歩きなんぞしていれば、起きることは決まっている。
 忽ち浪士に囲まれてしまい、抜刀したものの、間に合わない。
 俺よりも飲んでいた近藤さんは、更に数瞬遅れた。
 見逃すことなく、突っ込んで来る相手を何とか薙ぎ払う、が。
 「トシ! 右だ!」
 大将に、髪の毛一筋たりとも傷をつける訳にはいかないと、近藤さんばかりを見ていた俺の脇腹の辺りで、肉が裂ける音がした。
 腕にも肩にも焼けるような痛みが走り、どんだけ酔っ払ってんだ俺は、と己を呪ったが勿論遅い。
 「トシィィィ!」
 「巫山戯んな土方ァァァ!」
 ――総悟?
 響き渡る俺への罵りと、浪士たちの悲鳴が、総悟の登場を報せた。
 嗚呼、それなら、俺が此処まででも、大丈夫だ。
 霞む視界の中、亜麻色が近藤さんに駆け寄るのを確認した瞬間、ぶつりと意識が途切れた。

 重い瞼を持ち上げた時、傍らにいたのは山崎だった。
 「…近藤さんは?」
 「局長は一応無事です。あ、副長が起きたら沖田さんに教えろって言われてたんだ」
 慌てた様子で部屋を出ようとする山崎を呼び止める。
 「俺はどんくれぇ寝てた?」
 「三日程。よかったですよ、目が覚めて」
 言い残して、山崎は総悟を探しに行ってしまった。
 静かになった部屋には、虫の集く音が届き、陽が落ちかけているのだと判った。
 醤油が焦げる臭いも漂ってくるから、さらに夕飯時だと絞り込める。
 いつもなら食欲をそそるのに、その臭いは酷く鼻について、急いで口元を手で覆った。
 「くそ」
 これだけでも十分なダメージなのに、今から総悟が部屋に来るのだと思うと、恐怖が背中を這い上がり、背筋が凍る。
 酔っ払った揚句、近藤さんを危険に晒したのだから、殺されたって文句は言えない。
 発熱しているのか緊張しているのか、兎に角喉が渇いていたが、枕元の水差しにはうまく手が届かなかった。
 なかなか現れない総悟は何をしているのだろう。
 俺を恐怖に陥れることがプレイの一環なのかと、そっと溜息を吐いた時。
 すぱんと勢いよく襖が開く。
 「生き返りやがったか土方」
 「――…お前、それ、何?」
 総悟は隊服を着ておらず、薄藤色の着物に海老茶の袴を合わせた姿だった。
 俺が問うたのは、その姿についてでも、無表情に潜んだ鬼の形相についてでもなくて、白い両手が抱えていた丸盆についてだ。
 足音を立てながら枕元までやってきた総悟が、トドメにどすんと座り込んで、此方に丸盆を差し出す。
 蓋つき椀に梅干しの小皿、れんげと、食後に飲むのだろう薬まで添えてあった。
 「ん」
 への字口の総悟が言葉少なにぐいぐいと盆を押しつけるものだから、つい受け取ってしまう。
 先程、醤油の臭いで気分が悪くなったことから、今は食事を受けつけないのだと思い至ったが、これは食べないと八つ裂かれる。
 意を決して椀の蓋を取ってみると、米を煮詰めて濾してくれたらしい、重湯が入っていた。
 有難い、これなら食べられる。
 いや、ちょっと待て。
 「お前が作ったのか?」
 「…近藤さんのついででさァ」
 いやいや、ちょっと待て。
 「なんで近藤さんにコレが要るんだ? まさか怪我してるのか?」
 亜麻色の髪がふるふると横に揺れるのを見て、指先に体温が戻るのを感じたが、そう上手く話は進まない。
 「アンタが、自分の所為で怪我したって、酷く落ち込んで」
 総悟の話によると、俺が斬られた三日前から近藤さんは胃炎を起こしたらしく、食欲を失くして、すまいるにすら通えていないらしい。
 「俺が作れば、あの人は仕方なしに食べるでしょう?」
 「だな」
 「片付かねェから、アンタも早く食いなせェ」
 ひとつ頷き、早く近藤さんや隊士たちに元気な姿を見せなければと思いながら、重湯を啜った。
 総悟は黙ったまま、傍らに座り、薬袋を弄っている。
 「次にはアンタの好きな沢庵を付けてやりやす」
 「マヨは?」
 「油モンはまだでさァ」
 禁止令を言い渡され、軽くショックを受けている俺を見て、珍しく総悟が口元に笑みを浮かべた。

 翌朝は、早くから目は覚めていたのだが、痛みとだるさで一人で厠に行くのが精一杯だった。
 自室に戻って煙草をと、探してみたが何処にもない。
 取り上げられているのだと理解したと同時に、ドSが黒い笑いを湛えている姿が浮かんだ。
 と、襖の向こうで人の気配がした。
 「誰だ」
 「朝飯ですぜィ」
 朝礼前に来てくれたのか。
 隊服に身を包んだ総悟が、昨夜と同じように丸盆を手に、枕元に寄って来る。
 違っているのは、盆にのっているのが小ぶりな土鍋で、それが重湯ではなく粥だったことだ。
 ちょこんと正座した総悟が、よそってくれるのを待っている間に、小皿の沢庵を摘まんだら、軽く睨まれた。
 「近藤さんは、食えてンのか?」
 「へィ。でもまだ腹は痛ェみたいで」
 「そうか」
 いただきますと手を合わせて、れんげで粥を口に運ぶ。
 総悟に見守られながら食事をするなんざ、いくらコイツと恋仲にあっても、居心地が悪いものだと思っていた。
 しかし、実際こうなってみると、人間というのはやはり解らない。
 近藤さんのついでとは言え、総悟が俺にも粥を作ってくれていることは、どうしても嬉しかった。
 「昼はまだ粥だけど、晩飯は何がいいですかィ?」
 「…マヨ雑炊とか作れねぇ?」
 一瞬呆けた総悟だったが、堪え切れなくなったのか笑い出す。
 「どんだけマヨなんですかィ」
 流石に子供のようなことを言ってしまったかと、そろりと総悟の様子を窺うと、天井を見上げながら「アンタはマヨ、近藤さんは玉子にしやしょうか」と呟いていた。

 だから、気づかなかったのだ。

 とっぷりと日が暮れて、部屋に運ばれてきた雑炊からは、仄かに懐かしのマヨネーズの香りがしている。
 何処をどうやったらこうも綺麗になるのかと不思議なくらいの仕上がりだった。
 ただ、食事を持って来てくれた総悟は、警邏があるのだと言って、すぐに部屋から出て行った。
 礼を述べる時間もなかったが、明日の朝でいいかと、俺は深く考えていなかった。
 今頃、近藤さんは玉子雑炊を食べているのだろう。
 茶碗に雑炊を取り、口に入れた時だった。
 「あ?」
 広がったのは、違和感だ。
 ミツバを手伝ったり看病することがあった総悟は、料理なら其処らの女よりもできて、味付けはしっかりしていた覚えがある。
 なのに、この雑炊は、妙な味がする。
 決して不味い訳ではないのだが、何かおかしい。
 れんげを片手に、暫し考えて、出てきた結論は。
 「アイツ、味見してねぇな」
 重湯も粥も、味付けはされていなかったから、変なことにはならなかった。
 だが、雑炊はそうはいかない。
 料理をするなら味見をするのが一般的で、記憶の中の総悟もよくそうしていた。
 なら、何故、この雑炊の味見をしなかったのか。
 そこまで考えて、まさかの可能性に行き当たり、ソレが確信に変わって体が震えた。
 「山崎ィィィ!」
 どうせ部屋のすぐ外にいるのは解っていたから、傷に響くのも構わず叫んだ。
 「総悟呼んで来い! 警邏なんざ嘘だろ!」
 「無理です。沖田さんは、今ちょっと…」
 「厠か? いい。俺が行く」
 押し留めようとする山崎を振り払い、痛む体を引き摺ってずるずる廊下を進む。
 今、逢いたい。
 すぐ逢いたい。
 早く、早く、抱き締めたい。

 総悟は雑炊の味見をしなかったんじゃない。
 できなかったのだ。
 そして、雑炊の臭いが籠もる俺の部屋には、いられなかった。
 
 平気な訳がない。
 近藤さんが危ない目に遭い、俺が斬られて。
 そんな俺の所為で、近藤さんが食欲を失くして。
 平気な訳がないのだ。

 総悟はまったく食べられなくなっているのだろう。
 なのに、元気になれと二人分の食事を作っていた。
 きっと吐き気は凄まじかっただろうに。

 厠に辿り着く頃には、俺の息はすっかり上がっていた。
 ぐるりと見回すと、一番奥の個室の扉が閉じている。
 中からは、俺以上に苦しそうな総悟の息遣いが、小さな呻きと共に聞こえてきた。
 状態が落ち着いて出てくるまでをじっと待つ。
 その間、総悟が何日食べていないのかを、数えてぞっとした。
 俺は昏倒していただけだし、近藤さんも体を休めていただろうが、総悟は通常と変わらぬ素振りで生活をし、稽古も隊務もこなしていた筈だ。
 倒れなかったのが不思議なくらいだから、これは松本先生を呼んで、点滴でも打ってもらった方がいいかもしれない。
 だが、総悟は注射や点滴を嫌うし、無理に栄養を摂らせても、根本的な解決にならない。
 半分パニックになって、ぐるぐる考えていたら、漸く治まったのか総悟が扉を開けた。
 「ひじか、たさ、ん」
 これ以上はないくらい青白い顔で固まっている総悟の、亜麻色の髪はぐしゃぐしゃだ。
 梳いてやろうと手を伸ばすと、細くなったようにも感じられる肩がびくりと跳ねた。
 「口濯いで、俺の部屋…は、臭いがするな。お前の部屋行くか」
 別に咎めている訳ではないのに、総悟は綺麗な眉を寄せる。
 「俺は怒ってンじゃねぇだろ?」
 「…へィ」
 きゅっと、力が籠められている総悟の拳を、そっと包み込んだ。

 相変わらず殺風景な部屋だとは思ったが、そんなことに構う間はない。
 途中、食堂の冷蔵庫から掻っ攫ってきたスポーツ飲料のペットボトルを総悟に手渡す。
 ボトルには黒いマジックで『山崎』と書かれてあったが、それもこの際どうでもいいことだ。
 「少しずつ、飲めるトコまででいい」
 「アンタ、心配しすぎ」
 思ったよりも、総悟は飲むことができたので、少しだけほっとした。
 それでも顔色は悪いし、貧血だか何だかを起こしているのだろう、先程から総悟の体は揺れているし指先も震えている。
 食べられるものは、何だろう。
 ふと、総悟の言葉が脳裏を掠めた。
 『俺が作れば、仕方なしに食べるでしょう?』
 見つめていると、視線に耐えられないのか、総悟は俯いてしまった。
 「ちと待ってろ…いや、何でもねぇ」
 「土方さん?」
 総悟に床に入るよう言い含めて、俺も自室で休むと嘘を吐く。
 赤い瞳が明らかに訝しんでいたが、そんなことも、もう、気にしてはいられなかった。

 俺は何故、今まで料理というヤツに、真剣に向き合わなかったのだろうか。
 簡単なものなら何とかなると、山崎を拉致して厨房に籠ったまではよかったが、教えてもらった通りに作ったにも拘わらず、鍋の中は、煮え切っていない米やら、しなしなの青菜やら、固まり過ぎた卵やらが、見事なコントラストで悲惨な状況を作り出していた。
 「やっぱ駄目か」
 流石に山崎もフォローの仕様がないらしく、押し黙ってしまった。
 総悟に何か食べさせたいだけなのだが、怪我をしている俺はコンビニに行くこともできない。
 仕方なく、山崎にプリンかアイスだけでも買ってきてくれと、頼もうと思った時だった。
 「――…アンタ、それ、何?」
 「あァ!? 粥だよ!」
 小さな声が当然のコトを訊くものだから、思わず怒鳴ってしまった後、今のは誰だと青褪める。
 「そ、総悟」
 「俺はこれで失礼しますぅぅぅ!」
 一抜けたとばかり山崎がダッシュで厨房から出ていくのを見送った総悟が、俺の傍までとことこ歩いてきて、鍋の中を覗き込み、かくんと首を傾けた。
 「粥?」
 「嘘ですスミマセン」
 総悟は俺を綺麗に無視して、厨房から続く食堂の一番手前のテーブルまで移動し、椅子を引いて其処へ座る。
 「具合悪ぃのか? 大丈夫か?」
 「早くしてくだせェ」
 「は?」
 両肘をテーブルに置いて、組んだ手の上に顎をのせ、総悟は他所を向いたままだ。
 だが、亜麻色の髪から覗いている耳が、少し赤かった。
 「駄目だ、こんなの食ったら余計に」
 「作ってくれたンでしょう?」
 その言葉に、何も言えなくなって、悲劇が起きている鍋へと視線を落とす。
 味はとんでもないことにはならなかったのだが、見た目が見た目だし、米も硬い。
 「はーやーくー」
 テーブルを、がこんがこん、と、揺らし始めた総悟は、譲りはしないだろう。
 少量だけなら、と、茶碗におたまで軽くひと掬いして、れんげと一緒に総悟に渡した。
 総悟は、嬉しそうにしていた。
 無表情には変わりないが、近藤さんや俺には解るくらいには、柔らかな貌だった。
 それが逆に申し訳なくなってしまう。
 居た堪れない思いで視線を遣ると、総悟が到底粥とは呼べないソレを、はむりと口に入れた所だった。
 吐き出すこともせず、もぐもぐやっては、また食べようとするから、流石に止める。
 「オイ、もうやめとけ!」
 「あんれれふ?」
 「腹壊すぞ…それに、不味いだろ…」
 総悟は俺の手を振り払って、食べ続けてしまう。
 口直しに何か冷蔵庫に入っているものを出してやった方がいいのか、茶を淹れようかと、おろおろしていると、かちゃんと微かな音を立てて、空になった茶碗をテーブルに置き、総悟が俺をじっと見上げてきた。
 そうして、ちょいちょい、と手招きし、俺に顔を近づけるように言うので、何だろうと総悟の視線に合わせて腰を落とす。
 「別に、不味くはないです…けど」
 「…けど?」
 「マヨ入れるのは、やめてくだせェ」
 大声で、万能調味料をナメるなと叫びたかったが、強く手首を引かれてバランスを崩し、叶わなかった。
 慌ててテーブルに手を付いて、総悟の上に倒れ込まないように踏み留まるが、更に総悟が引っ張ってくる。
 「っぶねーだろ!」
 「土方さん…ご馳走さまでした」
 俺の胸元に顔を突っ込んで、総悟がぼそぼそ喋るのが擽ったかった。
 不安定な体勢で半分転びかけているから、逃げることはできないし、堪え続けるには色々辛い。
 総悟もソレを狙ったのだろう、と、お望み通りに抱き寄せた途端に、ぎゅうとしがみつかれた。
 滅多にない甘え方だ。
 「もう近藤さんも食えてンだし」
 「…へィ」
 「もう俺も生き返ったンだしよ」
 「…チッ」
 俺の腕の中で舌打ちしているのが、精一杯の意地なのだろう。
 「元はと言えば、アンタが悪ィんでさ」
 「ああ」
 「近藤さんを、悲しませやがって」
 「お前も、こんなになっちまったしな」
 抱えてみれば、やはり全然食べていなかっただけのことはあって、総悟は、ほんの少しだがほっそりとしてしまっていた。
 尤も、こんな風にコイツを抱くヤツなどいないから、解るのは俺くらいだろうが。
 背骨を辿っていると、総悟がむずがって顔を僅かに上げた。
 隙を衝いて、緩い力で顎を掴んで、唇を重ねて、ちゅっと吸う。
 総悟の白い手が、俺の脇腹から肩を滑り、腕で止まって包帯を撫でた。
 「しっかり治すから、しっかり食ってくれよ」
 「しっかり食うから、しっかりしてくだせェ」

 それからは、俺が何か言う度に、総悟が揚足を取るものだから、マトモな会話にはならなかった。
 だが、そうやって少しずつ、コイツが取り戻そうとしているのは解っていたし、何よりもこうしてまた総悟を抱き締めることができた俺自身も嬉しい。
 くっついたままの言葉遊びは、夜明け近くまで続いた。
 軒先に目を遣ると、つい先日まであった筈の風鈴は、誰かが片付けたらしく、月明かりだけが庭に淡く降り注いでいて何処か淋しく感じられる。
 その所為なのか、涼しすぎる風の所為なのか、総悟が頻りに身を寄せてきた。
 お子様体温に眠気を誘われ、テーブルに額をぶつけた俺を見て「部屋に戻りなせェ」と、総悟が席を立とうとするのを、引き留めて抱き込んだ。
 「此処で寝ちまおう」
 「へ?」
 「おめぇ、今から朝飯の準備する心算だったろ?」
 総悟が気不味そうな表情を浮かべて厨房を見た。
 しかし、俺の手を振り解くことなく椅子に座り直し、腕にすっぽり収まって、居心地のよい場所を探し出すと、頭を置いて目を閉じる。
 亜麻色の頭をぽんぽんと撫でていた俺も、程なく、夢の中へと引き摺り込まれた。

 きっとすぐに、いつもと同じに。
 全員揃った賑やかな、煩いくらいの朝飯が、すぐに。

                               2015.10.11
                      Web掲載につき一部加筆修正

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