その夜、近藤さんたちと接待に出掛けた土方さんは、かなりの深酒をしたようだ。 帰ってきた勢いそのままで、寝ていた俺を叩き起こした土方さんには、酒の所為で妙な色気があって、正直、俺は困惑した。 「総悟…」 だが、抱き締められた瞬間、俺の血圧が一気に上昇する。 「――…っ! その白粉の匂い、なんとかしろィ!」 女遊びなどしていないのは解っているが、土方さんの腕の中から逃れようと、俺は必死にもがく。 そんな俺を見て、土方さんがニヤリと笑った。 「総悟、可愛いな」 「は? …って匂い落として来てくだせェ」 「匂いにまで、嫉妬してンのか?」 抱き締めてくる土方さんの腕に一層力が込められて、俺は完全に身動きが取れなくなる。 (ワザとだ…! ワザと匂いつけて来やがった!) 気づいた俺の脳は恥ずかしさで沸騰しそうだった。 反対に土方さんは余裕の笑みを浮かべたままで、可愛いだのなんだのと散々な台詞を降らせながら、俺を押し倒した。 「おはようございます、沖田さん。……あれ?」 重い体を引き摺って、朝食を摂ろうと食堂へ向かう途中で出会った山崎が、俺に主語のない疑問系を投げかけた。 「おはよう……って何でィ?」 俺が挨拶と一緒に答えを促すと、殊更潜めた声でとんでもない言葉が返ってくる。 「沖田さん、白粉の匂い、してませんか?」 (俺、朝イチで風呂入ったぜィ!?) 慌てふためいた俺だが、同時に土方さんとの昨日の遣り取りに沸々と怒りがこみ上げてきた。 そもそも土方さんが白粉の匂いなどをつけてこなければ、このような事態には陥っていないし、体が重くなるほどのことにもなっていないのだ。 そこへ山崎が爽やかに絶望的な言葉を放つ。 「ああ、副長ですか。接待でしたもんね」 いつもなら瞬時に山崎を半殺しにする所だが、だが、だが今は。 「…土方ァァァー…」 思わず漏れた俺の声に、山崎の顔が引きつった。 「だ、大丈夫ですよ。ほんの微かに香る程度ですから! 俺は、ホラ監察ですから…その、敏感というか…」 俺は風呂場へリターンしようとして、あることを思いついた。 そして山崎へと、半ば無理矢理に協力を要請したのだった。 「ザーキーっ!」 一日の勤務の殆どをサボリで終えた俺は、夕食時の食堂で勢い良く山崎に飛びついてにっこりと笑った。 「新しいゲーム、手に入れたぜィ! 一緒にやってくれるだろィ?」 「ほ、本気なんですか!?」 山崎が焦った声で俺に問い返してくる。 「おう。ゲームは本気でやるのが一番でィ」 「そ、そうじゃな…」 「今夜はとことん付き合ってもらうぜィ?」 俺のその言葉に、一気に食堂の温度が下がった。 ギロリ、という音までしそうな勢いで、土方さんが此方を見ているのだ。 隊士たちはまったく意味は解っていないものの、鬼の副長が纏う空気に震えあがっている。 そんな土方さんを放置して、俺はぐいぐいと山崎の腕を引っ張って食堂を後にした。 「沖田さん!」 食堂を出た所で山崎が俺を呼び止める。 「あの、本気でするつもりなんですか? その、副長を」 「黙って協力しろィ」 俺はその言葉を遮って、そのまま山崎の部屋へ直行した。 当然と言えば当然だが、徹夜をしてゲームをすることもなく、俺は山崎の部屋で眠り込んでしまっていた。 アイマスクを押し上げると朝の光が飛び込んできたが、山崎の姿がどこにもない。 (顔でも洗いに行ったのか…?) 思った俺も身支度をしようと、一度自分の部屋に戻ることにした。 だが、部屋の前まで来て、俺はふと廊下の奥を見てしまった。 一番奥に、土方さんの部屋がある。 「悪いのは、土方さんでさ」 それでも何となく、俺は土方さんの部屋へと向かってしまった。 この時間なら、土方さんは、もういない。 いつもは不躾に開く襖を、何とはなしに躊躇って、ゆっくり細く開くとやはり部屋はもぬけの殻だ。 部屋に入り込んだ俺は、煙草の匂いに少し安堵した。 いつも通りに山積となっている書類に目を落とす。 「な、ん…っ!?」 俺は一番上に来ていた紙を見て、自分でも信じられないような上擦った声を漏らしてしまった。 そこには女からの熱烈な愛の告白が認められた手紙が乗っていたのだ。 別にそんな手紙を土方さんが貰うのは珍しいことではないのだが、土方さんはいつも俺の目に入らないようにしてくれていた。 それなのに。 「――白粉に手紙たぁ…いい度胸してらァ。…土方ブッ殺す!」 俺はドスドスと足音を響かせて土方さんの部屋を後にした。 巡回から戻ると俺はすぐに広間に入って山崎をとっ捕まえた。 勿論、視界の隅に土方さんを入れることは忘れない。 「山崎…今日も部屋、いいかィ?」 「いいですよ」 「へ?」 連日では流石に断られると思っていたのだが、それを見事に裏切ってすぐに返ってきた肯定はとても穏やかなものだった。 「じゃ、また夜に来てくださいね」 そう言って笑った山崎はそのまま、失礼します、と一言残して広間から出て行った。 俺はぼんやりと立ち去る背中を見つめた。 しかしその瞬間、俺は自分の背中に、山崎のものとは正反対の、ぞくりとしたものを感じ取った。 振り返るとすぐ後ろに土方さんが立っている。 「………っ」 自分で此処までしておきながら、俺は土方さんの凄まじいオーラに気圧された。 「テメェ、何のつもりだ?」 潜めているが確実に怒気を孕んだ土方さんの低い声が問うてくる。 思わず心中を明かしてしまいそうになったが、此処まで来たら俺は引けない性格だ。 「…自分で考えなせェよ」 ぼそりと言った俺に、とうとう土方さんがキレた。 「何が気に食わねぇンだ! テメェは!」 「だから自分で考えなせェ!」 屯所の広間ということを忘れて声を荒げた俺たちは、周囲のどよめきに我に返り、慌ててそれぞれの部屋に戻った。 こうなった俺が引き下がることなどできないことは、土方さんが一番知っている筈だった。 それなのに。 その日の夜は、再び山崎の部屋に入れてもらった所までは良かったが、中々寝付けなかった。 「眠れないんですか?」 隣の布団から山崎が声を掛けてきた。 同時にもそりと体を起こす気配がする。 「………」 俺はアイマスクをしたまま無言で寝返りを打った。 その瞬間。 全身がぐっと圧迫感に襲われて、横を向いていた俺の体が仰向けにされる。 「ザキ…?」 「沖田さん、副長なんてやめませんか?」 囁かれた山崎の言葉に、俺は血の気が引くのを感じた。 山崎の手がそっとアイマスクを取り払う。 「や、めろ…! 何して…っ」 土方さんクラス相手では無理だが、体格差のない山崎に体術で負けない自信はあった。 だが、油断しまくっていた俺の体は、この事態も手伝ってうまく動かない。 そうしている内に、俺にかかる山崎の力はどんどん強くなっていった。 「……やめ…っ!」 「山崎、悪い。ちょっといいか?」 俺の声と、今、絶対に聞きたくない声が重なった。 同時にすっと襖が引かれる。 「ひ、じかたさ…」 山崎の下になっている俺を見て、土方さんが一瞬固まり、それから冷ややかな視線を送ってきた。 「…そういうことかよ」 「ちが…っ。違いまさァ!」 俺は必死になって訴えるが、土方さんは口元に冷たい笑みさえ湛えている。 「そんな格好でよく言えたモンだな」 「だからっ、違うって…!」 「いつからだ? 言えよ、総悟」 ただでさえ山崎の行動にショックを受けているのに、土方さんにまで追い討ちをかけられて、俺はパニック状態になった。 「違い、まさ…っ! 違う……ぅっ…」 「すみません、沖田さん」 どうしていいのかまったく解らなくなった俺が不本意にも泣き出した瞬間に、心底申し訳なさそうな声がして、山崎が俺の上から体を起こした。 「悪かったな、山崎」 意味の解らない土方さんの謝罪の言葉。 「いえ。でも…副長、何もここまで…。これじゃ沖田さんが」 「コレくれぇが、丁度いいンだよ」 土方さんと山崎は、俺を放置したまま話を続ける。 「う…くっ、…ふっ………?」 俺はそれを聞きながら、この有様を見て本当にそう判断したのなら、土方さんは俺に斬りかかる、ということに思い至り。 そうでなければ、この後で、信じてくれなかった土方さんに俺が斬りかかる、ということに思い至り。 …話の内容を理解した。 「ぅえ…っ。ま、さか…」 「そのまさか、だ」 副長命令の方が優先されるンだよ、と付け加えた土方さんが、いつものニヤリとした笑みを浮かべて俺を抱え上げた。 「う…。馬鹿だろアンタ馬鹿だろ! え、ぅっ…う」 「馬鹿はテメェだ!」 「はあ。お二人ともいい加減にしてくださいね」 土方さんに抱えられた俺と、そのまま部屋を出る土方さんを交互に見て、山崎が溜息を吐いた。 深夜ということもあり、俺は抱き上げられたままで土方さんの部屋まで運ばれてしまった。 「もう離してくれませんかねィ!」 つい声が荒くなるのも無理はないだろうと、我ながら思う。 「やなこった」 しれっと言う土方さんは、部屋についたというのに先ほどからずっと俺を抱き締めたまま離してくれない。 「アンタ最低でさァ! ザキにあんなコト…!」 怒鳴った俺は土方さんを引き剥がすべく、精一杯暴れる。 「お前が山崎巻き込んで下らねぇコトするからだろうが!」 土方さんは腕力で俺の動きをすべて封じ込めた。 「土方さんが悪いンでさァ! わざと白粉の匂いつけて来やがって!」 「やっぱり、あの白粉か…。ちょっとからかっただけじゃねぇか」 嘆息する土方さんのその余裕は、俺の神経を逆撫でするものでしかない。 「おまけにアンタ、これ見よがしに女からの手紙までッ!」 土方さんが一瞬目を見開いて、次の瞬間ぶはっと吹き出した。 「離しなせェ! この色魔!」 「ただの暗号じゃねーか」 「……あ」 くっくと笑う土方さんは、俺を一層力強く抱き締めてくる。 「いつものお前なら、アレが暗号だって、判るのになァ? なァ、総悟」 「……っ」 俺の脳は白粉の夜のように、沸騰しそうになっている。 恥ずかしくて、もう、死にそうだ。 「ったく。可愛いヤキモチ、焼きやがって」 ん? と俺の顔を覗き込んできた土方さんは、言葉とは違って機嫌があまり良くないように見える。 「モチなんざ、焼いてやせん!」 「で、俺にもヤキモチ焼かせようとしたンだな?」 土方さんは俺の反論などさらりと無視して、けれど違わず図星をさす。 「だから! モチなんざ焼いてねぇでさ土方コノヤロー!」 「ハイハイ。解った解った」 言い募る俺を抱えたまま、土方さんが不機嫌そうにごろんと転がった。 自然、俺も転がることになる。 「いってぇ………ぅんっ!」 頭を少しだけ畳にぶつけた俺の、大袈裟な抗議はすぐに塞がれた。 当たり前のように入れられた舌が、俺の恥ずかしさを増大させる。 「……」 一度離れた土方さんの唇が、掠れた声で言葉を紡いだが、自分の呼吸がうるさくて俺には聞こえなかった。 「…な、んです…かィ?」 「降参」 俺が問い返すと、掠れた声が言葉を繰り返した。 「キスが、ですかィ?」 そんなことはある筈ないだろうと、俺は土方さんを見上げた。 土方さんが舌打ちと共に俺から視線を逸らす。 「モチ」 一言放たれた後、すぐに深いキスが来た。 既に少し乱れている俺の単の合わせに、土方さんの手がかかる。 かなり遅いテンポで、そのヤキモチに気づいた俺は、唇が離れないようにしながら、土方さんにぎゅうっと抱きついた。 「脱がし辛ぇ」 「頑張りなせェ」 息継ぎの合間に、俺たちは色気のない会話をして、取り敢えず、またキスをした。 |