ここ数日、いや十日以上は忙しかった気がする。 大晦日から元旦にかけて討ち入りがあったため、いつもよりも多くの仕事が新年早々居座ったのだ。 お陰で土方さん弄りができない日々が続いてしまい、俺の苛々は募っていった。 正月特有のどっしりとした『休みです感』に浸ることもできない。 警察だから元々派手な正月休みはないけれど、餅つきをしたり雑煮を食べたりはするし、近藤さんは未だにお年玉をくれる。 だけど、それらも非常に忙しなく過ぎて、気づけば松の内も明けていた。 恒例となっている土方さんとの飲み比べもできていない。 頭を使う仕事を得意としない俺にとって、書類との睨めっこは苦痛でしかなかった。 しかも副長室で缶詰になっている土方さんに対して、俺は隊服も着ずに広間のこたつでぬくぬくと書類を見ているから、当然眠気と仲良くなる。 うとうととしていたら、何処かから甘い匂いが漂ってきた。 甘さと眠気が気持ち良くて、パサリと書類が落ちた音がしたが、放っておくことにした。 しかし、突如頭に鈍い衝撃が加わり、無情にも微睡みが去ってしまう。 「てめぇは! 何を! 寝こけてンだ!」 「煩ェ…寝正月――…うわ」 おかしな声が出たのは振り返り様に見た土方さんがゾンビになっていたからだ。 そのゾンビはぐしゃぐしゃの隊服のワイシャツの胸元を探って煙草を取り出して火を点けた。 「仕事、一段落したんで?」 「まあな」 ふう、と煙を吐き出す土方さんは、昼を過ぎているというのにまだ何も食べていないのか、腹の辺りをしきりに擦る。 「お前、昼食った?」 「食いやしたけど、奢りならまだまだ食えますぜ?」 「じゃ着替えてくるわ」 「へィ」 部屋に戻っていった土方さんを見送った後、俺も羽織を取りに自室に向かった。 やっと土方さんをおちょくる時間を持つことができる。 蕎麦がいいと言ったら、七味を大量投入してやろうと、厨房に寄って小瓶を懐に忍ばせた。 江戸の冬は、よく晴れる。 吐く息が白くなるほど寒いが、気持ちの良い空の色を見て、ひとつ伸びをした。 前を歩く土方さんは、時折足元が危うい。 余程疲れているんだろう。 ふらり、揺れながら土方さんが俺を振り返った。 「ハンバーグとか、食いたいンだろ?」 「へ…?」 てっきり土方さんの食事に俺がくっついて行くモンだと思っていたのだが、そうではないらしい。 「あそこのファミレスでいいか」 小さな独り言を漏らして、土方さんはファミレスへと入っていく。 「え、ちょっと! 俺じゃなくて…蕎麦屋とか!」 慌てて消墨色の羽織の背中を追い掛けたが、俺を無視しているのか尊重しているのか、結局其処へ落ち着いてしまった。 勧められるがままにハンバーグセットを頼んだ俺とは対照的に、土方さんはさっぱりとした和食膳を頼んだ。 料理が来るまでの時間が、何処となく、気まずい。 「和食だったら食堂で済ませりゃイイじゃねェですかィ」 余計な一言を吐く自分が呪わしい。 だが、向かいの土方さんは気に留める風でもなく紫煙を燻らせていた。 「気分転換になンねぇだろ」 そりゃそうだ。 「だったらアンタが好きなトコ行きゃイイのに」 「テメェは喧嘩売ってンのか?」 いや違ェけど。 「……」 「……」 黙りこくった俺たちの前に、それぞれの料理が運ばれてくる。 手をつけずにいたら「食え」と視線で促された。 「食い終わったら、ちと付き合えや」 「やっぱり、裏が、あったンですねィ」 きっちりかっちり合点がいった訳ではないが、俺を連れ回したいなら食事に誘うのは手っ取り早い。 隊士たちの目も簡単に誤魔化せる。 添えられていたスープをこくんと飲むと、思ったより大きく喉が鳴ってしまった。 俺を見て土方さんが少しだけ笑う。 「そこまで身構える用事じゃねぇよ」 ファミレスを後にして、先程のように前を歩き出した土方さんについて行く。 食べたお陰で多少復活したのか、土方さんの足取りはしっかりしたものになっていた。 しかし、いくらなんでもこの距離は長すぎないだろうか? 「土方さん」 「あ?」 「何処まで行くんで?」 「あと少しな」 何度か同じ遣り取りをしながら辿り着いたのは、かぶき町の外れにある寂びれた神社だった。 「今年まだ詣でてねぇンだよ」 「はあ…俺もまだですぜ?」 初詣がしたかったのか。 それならそうと、最初から言えばいいものを。 鳥居をくぐろうとした俺は、隣にいた土方さんがまったく動かないのを不思議に思った。 「行かねェんですかィ?」 「此処からでいい」 境内に入らずにその場で手を合わせる姿に、今日一日の土方さんの奇妙な行動のすべてが現れていた。 「じゃ、俺も此処からですねィ」 土方さんがぱっと目を開けて俺を見る。 「お前は、いいんだ。行って来い」 「俺の方がアンタより多く斬りやしたよ?」 今年へと日付が変わった瞬間にも、人を斬っていた。 だから土方さんは此処から先には入れないのだろう。 「でもね、土方さん」 俺は懐をそっとまさぐって、指先に当たった小瓶を握り締めた。 「神様ってェのは、例えコレでも悦んでくれンじゃねェの?」 そうして取り出した七味を見せつけて、境内に向かって放り投げる。 「げ! お前何してンのォォォ!?」 「え? だって何でも受け取るでしょ? 神様は」 「ねぇだろ! 七味はねぇだろ!」 声を漏らして笑った俺に、土方さんがやっといつもの、瞳孔開き気味の顔を見せてくれた。 七味、持ってきて良かったなァ。 「俺が色々馬鹿だったわ」 「アンタが馬鹿なのは知ってやす」 土方さんの腕を引っ張ろうとしたら、逆に手を取られて境内へと連れ込まれた。 もう迷いがなくなったその力の強さが心地好くて、非道い俺は目を閉じる。 その後はただ二人きりで、夕方まで、近くのベンチに座っていた。 屯所に戻ると、出掛ける前――俺が居眠りをしていた時――に漂っていた甘い匂いが強くなっている。 すっかり冷えた体を引きずってその源を辿っていくと食堂に出た。 視線の先で、がやがやと賑わう隊士たち。 「何ですかィ、コレ」 「さあな」 匂いが気に入らないのか、土方さんは顔を顰めた。 と、思い出したように「ああ」と小さく声を発する。 「こりゃアレだ。花正月の小豆粥だろ」 「あー、土方さんが嫌いなヤツ?」 「お前の好きなヤツ、な」 俺はうんうんと頷いてカウンターへ駆け寄ろうとしたが、土方さんに腕を掴まれて思い切りつんのめった。 「もう一回出るぞ」 「はァ!?」 「俺ァこんなんより蕎麦食いてぇンだよ」 「ここまで人を振り回して…いい加減にしろよ土方ァ…」 刀に手を持っていくと、流石に土方さんが固まる。 舌打ちをした後でカウンターまで行って、二人分の茶碗を持って戻ってきた。 いつもは小豆粥を食べない土方さんのその行動を見た隊士たちがざわめく。 かちゃん、という音と共にテーブルに置かれた茶碗からはほくほくと湯気が立ち昇っていて、食べればすぐに体が温まると解る。 向かい合って座り、れんげで口に運べば、今日しか味わえない旨さが広がった。 土方さんの様子を伺ってみると、心なしか顔が引き攣っていて、可笑しい。 俺の視線に気づいた土方さんがおもむろに茶碗を置いた。 そうして俺に席を立つように促し、食堂の入口にいた山崎を呼ぶ。 「部屋に誰も入れンなよ」 「解りましたけど…なんでですか?」 問い返した山崎に土方さんがニヤリと悪い笑みを浮かべた。 「胸焼けするほど旨いモン食うから」 山崎が一瞬顔を歪めてから、ぶんぶんと首を縦に振る。 不審に思いながらも、俺は隣の土方さんを見上げた。 「何? 旨いの? 俺にもくだせェよ?」 「たっぷり食わせてやるよ」 「へィ…?」 俺の頭はかくんと横へ傾いてしまう。 「沖田さん…意味解ってますか?」 山崎の頭はがくんと下を向いてしまった。 「へ? あ? まさか…」 「誰が、何を食わされて、どうなるのか、今ちゃんと言えたらやめてやるよ」 「――ッ」 元気も元気、もう元気。 ついでにとんでもなくご機嫌になってしまった。 変なスイッチまで入っているが、あんな土方さんよりこっちの方がずっとイイ。 |