はぐくみ人

 ※ミツバさんについての解釈を緩く含みます。
  デリケートな題材だと思いますので、苦手な方はご注意ください。



 枕元の灯りを頼りに、布団の中から這い出て障子を細く引いた。
 体には、何も纏っていない。
 こうして土方さんに抱かれるのは、三回目。
 桜が、散っていくのを、ただ、見ていた。
 「終わりになりますねィ、桜」
 「また来年があんだろ?」
 土方さんが俺を抱き締める。
 もう寝ようという合図のように。

 花が散ってしまっても、俺はその木を見上げることが多くなった。
 何故かは自分でもよく解らない。

 解りたくなかっただけかも、しれない。

          *

 じーわじーわ、と、蝉の声が響いている。
 バーゲンダッシュを食べて涼もうと思って向かった広間には、珍しく誰もいなかった。
 扇風機を独占できるチャンスだ。
 俺は隊服のスカーフを緩めて其処を陣取り、送られてくる風を顔で受け止める。
 そこへひとつの足音が聞こえてきた。
 この歩き方は、常と変らず、怒ってやがるな。
 まだ口をつけていないバーゲンダッシュは何があろうとも完食しようと、今、決めた。
 ドスドスと背後まで歩み寄ってきた気配に、勢いよく頭を叩かれる。
 「テメェは! 何をサボってやがンだ!」
 「ボケやした? 俺ァ休憩時間ですぜ」
 「嘘を吐くなァァァ!」
 ただでさえ暑いのに、こんなにヒートアップして、大丈夫なのだろうか。
 振り返って見上げた俺を見て、土方さんが動きを止めた。
 慌てた様子で俺の前に回り込んでしゃがむと、いきなりスカーフに手を掛ける。
 「なんですかィ?」
 「…少しは気ぃつけろよ」
 きゅっとスカーフを締められて、漸く、昨夜その場所に土方さんが痕を残していたことを思い出した。
 まだ、慣れない。
 言い出したのは俺だけど、まさかあんなコトをするんだとは解っていなかったのだ。
 毎回顔から火を噴くのではないかというくらい恥ずかしい。
 「総悟?」
 下を向いた俺の顔は、土方さんに半ば無理やり上げさせられた。
 「俺の部屋に行ってろ」
 「…あの、今から…?」
 再び俯いてバーゲンダッシュを見つめて訊くと、また強く頭を叩かれる。
 「違ぇよ。エロガキ」
 言い残して、土方さんは広間を出て行った。
 バーゲンダッシュを口に入れる。
 バニラの味が広がった。

 何となく土方さんの部屋に行ってみるのもいいかと思い、廊下を進んでいくと、部屋の前の桜の木が目に入った。
 入口の襖に手を掛けたまま、桜の方へ顔を向ける。
 さわり、と、風が葉の茂った枝を揺らした。
 「また見てンのか?」
 いつの間にか土方さんが横にいて、それだけ自分がぼうっとしていたことを知る。
 「…別に何も見ちゃいやせん」
 俺を見て軽く溜め息を吐いた土方さんに、部屋へ入るようにと促されて敷居を跨いだ。
 「で、用事は何ですかィ?」
 「コレ、やるよ」
 掌にころんと小さな粒が転がった。
 よく見れば、それは。
 「向日葵…?」
 向日葵の、種だ。
 「観察日記でもつけろって言うんで?」
 「まあ…それでもイイけどな」
 言葉を濁したのを逃したくなくて見つめていると、困ったのか、土方さんは後ろ頭をがしがしと掻いた。
 「見てばっかいねぇで、育ててみろや」
 子供扱いされて、無性に腹が立った。
 あんなコトを一緒にするのに。

 だが、俺はその種を土方さんに投げつけることなく、屯所の庭に埋めた。
 何故かは自分でもよく解らない。

 解らなければならない、気がしていた。



 向日葵が順調に育っていくにつれて、俺はなんだか嬉しくなって、できるだけ大きな花を咲かせようと本を読むことにした。
 買ってきた本を、夕食後の自室でこっそり開いていると、いきなり入ってきた土方さんにソレを取り上げられる。
 パラパラとページを捲っていた土方さんの手が、途中で止まった。
 俺へと返された本を受け取ろうとした瞬間に引っ張られて、唇が重なる。
 「ん、んん…っ」
 「枯らすなよ」
 どうして突然そんなコトを言い出すのか。
 でも、あまりに真剣な目をするもんだから、思わず頷いてしまった。
 降ってくる口吻けに体がふわふわする。
 このまま今夜は、抱かれるのかと思った。
 けれど。
 「お前が向日葵咲かすまで、抱くのはやめる」
 きっぱりと言った土方さんは、静かに部屋を出た。

 解って、いるんだ。
 土方さんは、俺が解りたくないことを、解っているんだ。



 もう少しで向日葵が見事な花を咲かせるだろうという時。
 茎から葉にかけてびっしりと虫がついてしまって、これではきっと駄目になると思った。
 一匹ずつ退治していたが、とても間に合わない。
 土方さんに「枯らすな」と「咲かすまで抱かない」と言われたのに。
 嫌われる――?
 泣きそうになるのを堪えていると、煙草の匂いが、した。
 「お前、なんつー顔してンだよ」
 「……」
 「ただの虫だろうが」
 言った土方さんが向日葵にスプレーを吹き付ける。
 「あ…っ」
 大事に大事にしてたから、俺は化学肥料や薬品を使っていなかった。
 止める間もない土方さんの早技に呆気に取られていると、辺りにレモンのような香りが漂い始める。
 「?」
 「なんだ…その、薬使ってねぇだろ。だから」
 「作ってくれたンですかィ?」
 ハーブと思われるものが入ったスプレーの容器を俺に放り、横を向いて煙草をスパスパと吸う土方さんが――愛しかった。

 目の前の向日葵に、咲いて欲しいと、心から思った。

 念のためにもう一度、買ってある本を見直してみようと早めに風呂に入って部屋へと戻る。
 まずは適当なページを開こうと思った時、微かにだが何度も同じページが開かれている跡があることに気づいた。
 そこを慎重に狙って本を開くと、向日葵の基本情報が載っている。
 その中のひとつの項目を読んだ俺の体は、どんどん強張っていった。
 動悸がして息苦しい。

 嗚呼、やっぱり、解りたくなかった。


 【花言葉】:あなただけを見つめる



 じーわじーわ。
 青空の下、開いた向日葵の前で刀の柄に手を掛ける。
 この花は咲いていてはいけない。
 土方さんをたった一人とするわけにはいかない。
 俺が土方さんのたった一人になってもいけない。
 それでは。
 それでは、あまりに。
 あまりにも――が。
 だが、抜刀しようと動かした手は、大きな手に掴まれた。
 「斬るのか」
 「……」
 「大事に育ててきたのに、斬るのか」
 酷く責められている気がして、ぎりっと土方さんを睨みつける。
 「泣くなよ、ガキ」
 「だって、俺がアンタと。本当は――が…」
 言い掛けた俺を土方さんは自分の方へと引き寄せて、思い切り抱き締めてきた。
 「解れ、クソガキ」
 「わかん、ねェ…っ」
 俺を抱く土方さんの腕に力が入っていく。
 「咲いちまったンだ…斬れねぇンだよ…お前にも俺にも」
 「嫌だ! 斬る!」
 「枯れても種が落ちて、また咲いて、もう、斬れねぇンだ」
 「嫌だ! 嫌でさァ!」
 喚く俺へと土方さんが続けて紡いだ言葉は、震える声に乗せられていた。
 「俺と地獄へ落ちてくれ」
 囲われた腕の中、土方さんの胸に頬をくっつけて、俺は声を上げて泣いた。

 言われていることは、本当は、最初から痛いほどに、解っていた。

          *

 あれから何度か季節が巡った。
 緑に彩られた桜の木を、クーラーでキンキンに冷えた副長室の布団の中から見る。
 折角俺から出向いてやったというのに、土方さんはまだ仕事をしていた。
 「土方さーん、俺、寝ちまいそう」
 大きく伸びをしながら言うと、こちらを振り向きもしないで声だけが返ってきた。
 「コレやるから待ってろ」
 言葉に続いて飛んできた小さな包みを開いてみれば、レモンの飴が転がり落ちる。
 それが、あの向日葵を思い出させた。
 「そういや、地獄の時期ですねィ」
 笑った心算だったが、失敗したようだ。
 土方さんが俺の傍までやって来て、そっと抱いてくれたので、顔を寄せて口吻けた。


 ――桜が咲くと嵐が来る。
 ――頭の中で桜が舞って。
 ――地獄と共に花が咲く。


 今年もまだ暑い日が続くだろう。
 思ったと同時に、肩から単が滑り落ちた。

                               2013.8.11

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