※「秘修羅」を先に読んだ方が解りやすいと思います。 冷めることを知らない夜気が、ぬるく俺に纏わりついていた。 「七月に入ったばっかりだってェのに、暑過ぎやしねーかィ?」 後方へ問いを投げ掛けても、応えなどある訳がない。 すべて斬ってしまったのだから。 斬り込んでからそのまま随分突っ走ってきてしまったようだ。 俺はまだ途絶えることのない刀がぶつかり合う音の方向へと戻ることにした。 今宵の捕り物も、そして七日後の捕り物も、俺には同じだ。 同じで、なければ、ならない。 「あァ斬り過ぎちまったィ」 これは後から土方さんの世話になるだろう。 土方さんも殺気立っていてくれていれば、少しは気が楽なのだが。 そこまで考えて自然と口元に笑みが浮かんだ。 殺気立たない訳がない。 鬼の副長が、捕り物で、殺気立たない訳がないのだ。 やがて視界に飛び込んできた土方さんは、案の定、誰よりも多くの返り血を浴びていた。 その姿から視線を逸らさずに、俺はただ刀を滑らせる。 「なァ、近くに倉庫かなんかある?」 獲物の一人に訊いておくことも忘れない。 そうやって斬っていた俺に、土方さんが一瞬視線を寄越した。 俺の斬り過ぎを少しだけ責めるような、いや、そうさせているのは自分だと自身を責めている土方さんの視線。 横に払った刀が返してきた血が俺の脳を沸騰させる。 だけどアンタがその目で見てくれるから。 だから。 今日も俺はいつもと同じでいられるのかな。 「ダセぇ」 赤色灯がぎらつく中で、一通りの指示を終えたのだろう土方さんが煙草に火を点けるのが見えた。 俺は長い息をひとつ吐いて、土方さんの元へと歩いていく。 この瞬間は好きじゃないがどうしようもないのも解っている。 まして今夜の俺は斬り過ぎているのだ。 止められない。 「土方さん…」 俺が傍に立っただけで、抑えきれなくなっている殺気が伝わっている筈なのに、土方さんは俺が名を呼ぶまで気づかない振りをする。 そういう約束だ。 顔を上げた土方さんの青鈍色の瞳にも、殺気が爛々と灯ったままだった。 「土方さん」 再び土方さんを呼んだ俺の声は掠れていて、土方さんがぴくりと反応する。 火を点けたばかりの煙草を乱暴に放ってぐしゃりと踏み潰すと、傍にいた隊士の一人に少し遅れて屯所へ戻ることを告げ、土方さんはもう一度俺を見た。 「場所は?」 「近くに廃屋があるって言ってやした」 「…そうか」 自分だってどうしようもない癖に、土方さんには少しだけ躊躇いがある。 特に俺から合図をした時は、それが顕著だ。 廃屋へと向かう俺の後ろから、それでも凄まじい土方さんの殺気が伝わってくる。 ぎしり。 足を踏み入れた朽ちた建物で、人の気配がないことを確かめた途端、土方さんが遠慮気味に俺の腕を引いた。 噎せ返るような血の匂いの中で口吻けをする俺たちが始めるのは、いつもの睦み合いとはまったく異なる歪な交わりだ。 ただ沸騰して焼き切れそうな衝動を鎮めるためだけの行為。 抱え込まれた腕の中で、喉元を食い千切られるのではないかという程強く吸われる。 隊服を必要最低限だけ乱し、俺は性急に土方さんを求めた。 早く。 早くこの殺気を散らせて。 なのに、優しい指はゆっくりと肌を辿って、俺を溶かそうとする。 「そんな風に、しないでくだせェって、言いやした…っ」 「…痛いだけだろうが」 土方さんの低い声は、それでも、余裕を失くしていた。 上がってきた息の中で俺は必死にいつもの言葉を土方さんへと投げつける。 「痛くて、いいから…痛い方がいい…っ!」 俺がこう言うまで、土方さんは必ず俺をいつも通りに抱こうと、必死に衝動を抑えていた。 だがそこからは、まるで獰猛な獣のように、俺を貪って、くれる。 貫かれる痛みに悲鳴を上げても、多分それが俺の望みだと解っていて、土方さんは行為を止めることはしない。 土方さんも俺をそうやって抱くことでしか、散らすことができない程の殺気を持て余しているのだ。 これが、俺たちの、捕り物の後の、歪な常。 七日後も、同じでなければ、ならない。 そう。 今日も、同じでなければ――…。 「確認だ。一番隊は正面から……」 ぬるい風が肌を撫でていくのは今夜もか、と、土方さんの声を聞きながら、斬り込む先を見つめる。 「聞いてンのか!? 総悟!」 「聞こえてまさァ、子守唄が」 「…こんの馬鹿が!」 思い切り土方さんにど突かれた。 しかし今更指示を聞かなくても、いやハナから聞かなくても、俺の仕事は解っているのだからどうでもいいだろう。 俺はただ斬り込む。 斬る。 斬ればいい。 「総悟?」 呼ばれて顔を上げると、土方さんがじっと俺を見ていた。 「何ですかィ?」 「いや…」 「はっきりしねェな土方コノヤロー」 「いや、いい」 言葉を濁したまま持ち場へと戻っていく後姿を見送る。 あの人は護るべき人を護る。 護るべき魂を護る。 あの優しい手で。 なのに。 それなのに。 俺は知らず知らずの内に左手で自分の心臓の辺りを押さえていた。 「…畜生!」 合図が下る。 怒号が上がる。 悲鳴が響く。 血の雨が降る。 いつもと変わらない、捕り物の光景。 違うのは、俺だけだ。 いつもと同じでなければ、ならない、から。 赤色灯を頼るのは、多分もう本能的なものなのだろう。 そこだけはいつも通りに、俺は皆の所へ戻っていた。 ぼんやりと立っている俺の視界の隅に、パトカーにもたれている土方さんの姿が入ってくる。 「…っ!」 土方さんは、煙草を、吸っていなかった。 それは、土方さんからの合図。 珍しいことでもない。 まして拒んだこともなければ、拒む理由もない。 だが。 触られたく、ない。 今夜の俺は一歩も動くことができなかった。 それを訝しく思ったのだろう。 顔を上げた土方さんが、俺を見てすっと目を細める。 そうして俺の方へと歩いてきた。 「嫌なのか?」 投げかけられた質問にも俺は声が出ない。 いつもと同じでなければ、ならない、のに。 「嫌じゃ、ない、でさ」 漸くそれだけ言うことができた。 「嘘じぇねぇなら、来い」 ――…バレてる? 土方さん、だって今日の俺は、いつもの俺じゃ、ない。 縺れそうな足を叱咤して、土方さんの後を追う。 しかし、行き着いた先にあった古びた倉庫に入った瞬間、有無を言わさずに仰向けに引き倒された。 「…なっ、に?」 思わず上げてしまった上ずった声にも、土方さんは躊躇う様子を見せずに、俺を押さえ込む。 「お前、どうした?」 何が、と言いたかった。 だけど俺の口から漏れてしまったのは。 「ヤ…! 触らな…っ」 土方さんが軽く目を見開いた。 その表情にはっとなった俺はすぐに言葉を止めたが、一度口にした言葉までは取り消しようがある筈もない。 逡巡していると、いきなり唇を塞がれた。 ぬるり、と入ってきた舌に、思わず体が逃げを打つ。 無駄なことだと解っている。 土方さんに、力で適う筈がないのだ。 証明するかのように、すぐに俺の体は引き戻された。 唇はそのままに、隊服を脱がされる。 その手つきはいつになく乱暴だった。 「ん、ん――っ!」 声を上げても、それはくぐもったものになって、手足をばたつかせても何の効果もない。 寧ろ土方さんの動きにはどんどん怒りが満ちていってしまった。 離れた唇はぞっとするような色を孕だ声で言葉を放つ。 「嘘吐いて、着いて来たな?」 だったら、と続けられた土方さんの次の台詞は、絶望的だった。 「テメェは今夜は俺に犯されンだよ」 そう言った土方さんは俺のシャツを引き裂いた。 「触らない…でくだ…せェっ!」 大好きな手が俺に触れる。 今までされたことがない酷さで。 がり、と乳首に爪を立てられた。 「いあ…っ!」 それを何度も繰り返されて、俺は悲鳴に近い声を上げる。 「う、あ…触ら、な…!」 「うるせぇよ」 冷たく言われたのと同時に下着に手を突っ込まれた。 「ヤ…っ! 触ら、な…でくだ…!」 「珍しいな。勃ってねぇの」 だからと言って、手を動かされれば、それは嫌でも反応してしまう。 「離し、あ…ぅ! あ! 触らないで、くだせ…ェっ」 「うるせぇっつってンだろが」 「ひ、あ!」 激しさを増した土方さんの手の動きに、俺は体を仰け反らせた。 「イかさねぇよ」 「もう…触……い、あ――っ!」 触らないでくれと続ける筈だった言葉は、土方さんが前触れもなく、濡らしてもいないままの俺の後ろへ入れた指の所為で悲鳴に変わる。 元々捕り物の後の歪んだ行為は、いつもの睦み合いのようなものではないけれど、ここまでのことをされたことはなかった。 ずくずくと指を動かされる痛みに必死に堪えていた俺だったが、ふとあることに気がついた。 土方さんは、俺を犯すと言っていた。 じゃあ、どうして、酷いとは言え前戯をするのだろう。 犯すということは最初から貫くということではないだろうか。 これでは手酷いだけで、いつもと殆ど変わりがない。 「あ……う、うあ!」 涙で霞んだ視界で、俺は土方さんを必死に見つめた。 と、土方さんの動きがぴたりと止む。 「なんでやめろって言わねぇンだ?」 「……?」 「テメェは、触るなとしか言ってねぇンだよ!」 思わず見開いた俺の目から、つうと涙が落ちたのが解った。 その所為でぼんやりとしていた視界がはっきりする。 土方さんは俺の腰を持ち上げて、ず、と後ろから指を引き抜いた。 「う、いぁ!」 そうして俺を抱きしめて、なんでだ? といつもの声で呟く。 「い、やだァ――ッ! 触らないでくだせェッ!」 俺は滅茶苦茶に暴れた。 上げた悲鳴にも気づかなかいまま、力の限り。 これ以上触られるわけにはいかないのだ。 人を斬った。 今日は。 だって。 俺は。 生まれた日にまで人を斬る。 そんな事などできないと思っていたのだ。 いくらなんでも。 なのに。 いつもと同じでなければ、ならない、と思えばできてしまった。 だから。 今日の、こんな俺には、アンタは、触っちゃダメなんだ。 「離し…離してくだ…触らないで、くだせェ…」 「理由を言え」 「さ、触らない、で…くだ、せ…」 「それじゃ解らねぇだろ」 抱きしめてくる土方さんを俺は両手で押し留めようと必死になった。 「総悟」 だがそれさえも、いとも容易く崩されて、俺は土方さんの腕に囲われた。 いつもと同じ、ように。 「なあ、総悟」 土方さんが俺の耳元で、囁くように言葉を紡ぐ。 「痛くて、いいか?」 俺の首筋に顔を埋めるようにしている土方さんが、ゆっくりと上体を起こして、ひたりと俺を見据えた。 「今日はお前を外してやりたかった」 ――…バレてる、全部。 「これまで7月8日に討ち入りがあったことはなかったからな」 土方さんは射抜くように俺を見つめたままだった。 「だから、今夜のお前は、血でなく、俺で汚れるんだ」 そう言われた瞬間。 「ひ! うあぁ――ッ!!」 体中が、みしり、と音を立てたのではないかと思うほどの痛みに襲われた。 「い、あぁっ! ひ、う!」 宥めるように土方さんが俺自身へと指を絡めるが、それでも俺は悲鳴を止めることができない。 「やああ――ッ! 痛ぅッ!」 土方さんは、一度も動きを止めずに、俺をがくがくと揺さぶった。 「そう、ご」 「ひ、う…っ! う、ぅああッ!」 「総悟」 自分の絶叫で頭ががんがんしていても、どうしてだろう。 土方さんの声ははっきりと聞こえた。 「俺…で、汚れ、ちまえ…っ!」 「うぁ! ぃあ――ッ!」 違う違う違う。 アンタが俺を、誰かを汚すなんてことは有り得ない。 どうして、それが言えない。 なんで悲鳴だけしか出てこないんだ。 俺はぼろぼろと涙を零した。 動きを止めない土方さんが、涙を舌で掬い取ってくれる。 「ひじ、かた、さ…」 やっとのことで名前を呼ぶと、土方さんの険しかった表情がほんの少し、そうほんの少しだけ、和らいだような気がして……俺は意識を手放した。 「お前、やっと、俺を呼んだな」 目を開くと、そこはまだ先ほどの倉庫の中で、すぐ傍で土方さんは俺に背中を向けて煙草を燻らせていた。 土方さん、と呼びかけようとしたが、声が枯れていてすべて息になってしまった。 体を起こそうにも、まだ力が入らない。 俺には土方さんに言わなくてはならないことが山のようにあるというのに。 じっと土方さんを見つめていると、土方さんが背中を向けたままで、俺の名を呼んだ。 そして。 「すきだ」 多分世界中で一番、この場に相応しくない言葉が呟かれた。 「言っただろう。どんなお前でも、好きだ」 嗚呼。 いつだったか、捕り物の後に交わって、そんな問答をしたことがあったっけ。 あの時、俺は土方さんに訊いた。 “俺が胸の中に修羅を飼っていて、修羅の道を選んでいても好きですか?”と。 今更、何を恐れることがあったのだろう。 「…修羅…で、も…です…かィ…?」 カラカラの喉を振り絞って問い返した俺を土方さんが振り返った。 「どんなお前でも、だ」 煙草を揉み消した手が、俺の頬へと伸ばされる。 だがその手は俺に触れる寸前で止まった。 「もう、俺で汚れただろ? フツーに触ってもイイだろ?」 「アンタで…綺麗に、なり、やした…よ」 俺は綺麗に笑えただろうか? 泣いていないだろうか? 思う間もなく、土方さんが俺を力いっぱい抱きしめてくれた。 啄ばむだけの口吻けを何度もされる。 思い切って俺から舌を差し入れてみると、土方さんにすぐに、ちゅ、と絡め取られた。 「ふあ…。ん、んぅ…」 「声、枯れちまったな」 口吻けの合間に土方さんが言う。 「痛かった、だろ」 俺は頭を横に振った。 「だけどな…」 続ける土方さんの唇を無理矢理塞ぐ。 長いこと続けていた口吻けが終わると、土方さんがまた口を開いた。 「ごめんな、総悟。誕生日なのにな」 「台詞、違って…まさァ」 折れそうなほど強く抱きしめられた俺の耳に正しい言葉が届く。 「誕生日おめでとう、総悟」 俺は土方さんの胸に頬をくっつけて、そっと目を閉じた。 もう、生まれた日までも、修羅で、いい。 |