咲立夏

 突き抜けるような青空を見上げても、出てくるのは溜息ばかりだ。
 俺はいつもの公園のベンチに寝転がったまま、人差し指を眉間に当てた。
 「三割り増し」
 元々笑うと言っても、ニヤリ、という類のものが多い土方さんだが、この数日はそれさえもない状態で仕事をしている。
 それこそ眉間の皺は三割り増しだ。
 原因は、真選組忙殺イベントのひとつ、ゴールデンウィークだった。
 俺はいい。
 サボれば問題はない。
 仕事はいい。
 しかしゴールデンウィーク…その中でも、5月5日は、ある意味では俺を殺しに来るもので、現に俺はもう半殺しになっている。
 数刻前、俺は近藤さんからぶっ飛んだ提案…いや局長命令を受け取っていた。
 『午後からトシは休みにするから、付き添って休んでるか見張ってくれ』
 嬉しそうに言う近藤さんに、ああ土方さんへの誕生日プレゼントか、と納得して、つい頷いてしまった。
 近藤さんの言葉の後半の内容を理解したのは数秒遅れてからだ。
 その後、勢い余って屯所を飛び出したまでは良かったが、いくらなんでも昼前には戻らなければならないだろう。
 俺は体を起こすと、軽い頭痛を抱えたまま歩き出した。
 公園の入り口ですれ違った子供たちがきゃっきゃと声を立てて笑っている。
 「……」
 どうせなら、笑わせて、みようか。
 そう思うと半殺しの気分が4分の1殺し程度に治まってきた。

 「そんなの…聞いてねェでさ」
 私服に着替えた俺は、土方さんの部屋で早くも半殺しに戻った。
 「ああ、俺も聞いてねぇ」
 俺と同じように着替えを済ませていた土方さんが、むすっとしたまま煙草を銜える。
 「俺ァ、アンタ休みになるって、それだけしか聞いてねェ」
 土方さんの口から飛び出してきたのは、土方さんへの局長命令『美味いモンを食って来い』に従うための料亭行きの話だった。
 「ったく…何が楽しくてテメェとメシなんだよ」
 「そりゃこっちの台詞でさァ!」
 声を荒げた俺に土方さんが舌打ちするのが聞こえて余計苛々する。
 俺は文机の上にある書類を取ろうとした土方さんの手を叩き落した。
 「休みでさァ、土方さん」
 口の端を吊り上げて言った俺に、土方さんが溜息を吐く。
 「正座」
 ぽんぽんと畳を叩かれて座るように促されたので、何だ? と思いながらも大人しく正座をすると、膝の上に土方さんがころんと転がってきた。
 「ちょっと! アンタって恥ずかしい!」
 「るせぇぞ枕」
 すぐに寝息を立て始めた土方さんは疲れ果てているのだろう。
 俺はやっぱり笑わせてみようと思い、計画を練ることに専念した。

 「ん…」
 温かくて気持ちいい。
 俺はその温もりに、ぐりぐりと頬を擦り付けた。
 煙草の匂い。
 髪を梳かれる感触も、気持ちいい。
 「起きたか? 枕」
 「んー…」
 夢うつつに答えて、まだ重たい瞼を開くと、窓の外に茜色が見える。
 「お前よく寝るなァ。もう夕方だぞ」
 しかし問題はそれではない。
 「え? あれ? 土方さん?」
 土方さんと俺の体勢が完全に入れ替わっていることが大問題だ。
 飛び起きた俺を見て、土方さんが文机に書類を置いた。
 俺を膝にのっけたまま、結局仕事をしていたらしい。
 「そろそろ行くぞ。予約の時間になる」
 「…へぃ」
 立ち上がった土方さんに続いて部屋を出る。
 そして俺たちは屯所を後にして、近藤さんが予約を入れてくれた料亭へ向かった。

 道すがら並んで歩く土方さんは、やはり難しい顔をしている。
 きっと頭の中は仕事でいっぱいなのだろう。
 この顔をどうやって笑わせるかは、決めてある。
 土方さんが好きなことをすればいい。
 場所が料亭なら、アレしかないから、用意もしてきた。
 重要なのはタイミングだ。
 俺は俺で頭をフル回転させる。
 そんな風に歩いていたので、何一つ話をしないまま料亭に着いてしまった。
 入り口に続く飛び石をいくつか渡った時、俺の足が玉砂利を一粒踏んだ。
 「わっ」
 「馬鹿かお前は!」
 受身を取らなかった俺は、転ぶ寸前で土方さんに腕を掴まれた。
 「ぼさっとしてっから受身も取れねぇンだろが」
 「取れなかったんじゃねぇでさァ! 取らなかっ…いや、あの」
 言い返した言葉を負け惜しみと取った土方さんは、俺の手を掴んだまま料亭の敷居を跨ぐ。
 空いている片手で、俺はそっと懐を確かめた。
 これを守っておかなければ、計画は台無しになる。
 だから受身を取るわけにはいかなかったのだ。
 「何してンだ?」
 ほっと溜息を吐いた俺を土方さんが振り返ったので、俺は掴まれていた方の手を大袈裟に振り解いて、用意されている部屋へ飛び込んだ。

 運ばれてくる食事は、見目良く、味良くなのだが…目の前では当然のように犬の餌にされていく。
 予想されていたことなのでツッコミを入れる気にもならないし、今日の俺には犬の餌にしてもらわなければ困るところだ。
 人間が食べる美味な天麩羅を、俺がぱくり、と口に入れたと同時に、土方さんの携帯電話が鳴り出した。
 「出てくだせェ」
 俺の携帯電話が鳴らないので、大事ではないだろう。
 歯ざわりが良い天麩羅は日本酒にぴったりだ。
 土方さんの電話は短かった。
 「今日中にその書類纏めとけ山崎ィィィ!」
 電話を切った土方さんは、また難しい顔をしてしまう。
 この顔を笑わせようと、思ったんだけど。
 「土方さん」
 「あ?」
 土方さんが俺に視線を寄越す。
 そう言えば、今日、俺は土方さんとまともに話してもいないし、目を見てもいないような気がする。
 「アンタ、帰りたいんじゃないんですかィ?」
 「あ?」
 「仕事、気になるんでしょう?」
 俺を見たままの土方さんは、固まっていた。
 そんな顔をさせようと思ったわけじゃなかったんだけど。
 俺は一度だけ、懐に手をやる。
 大体、緊張して無理。
 大分、酒、飲んでみたけど緊張して無理。
 土方さんを見ていられなくなって、畳に視線を落とす。
 「総悟テメェ…煽ってンのか?」
 いきなり近くで土方さんの声がしたので、俺は土方さんが座っていた筈の向かいを見た。
 そこに土方さんはいない。
 「あれ? ひじかたさん?」
 「こっちだ」
 耳に息がかかるような距離で声がした。
 頬に軽く土方さんの手が触れる。
 横を向いた途端に合わさった唇はすぐに離れた。
 「バカスカ飲んでンじゃねぇよ、悪癖寸前じゃねぇか」
 短く俺の飲みすぎが指摘された後、また唇が重なる。
 「…ん、ん」
 二度目は、もう深くて、頭がぼうっとした。
 上顎を舐められて体が跳ねる。
 同時に土方さんが思わずといった感じで俺の肩に置いていた手に少しだけ力を入れた。
 ただでさえ不安定だった俺の姿勢は、かくんと崩れてしまう。
 手をしっかりつけば良かったのだろうが、ぼうっとした上に懐へ気を取られた俺はそのまま思い切り後ろへ倒れてしまった。
 「テメェは…ほんっとーに煽ってンのか?」
 そんな顔もさせようと思ったわけじゃなかったんだけど。
 あ。
 飲みすぎた…?
 まじで?
 やべ。
 シてぇ。
 俺がじっと土方さんの顔を観察していると、土方さんが、キレた。
 「毎回言ってっけど、その面鏡で見て来い! この…っ」
 土方さんの手が袷に掛かったので、懐の中を思い出した俺はその手を押し留める。
 「や…っ! ひじかたさん! だめでさぁ!」
 「やっぱり何か隠してやがるな」
 「かくしてねぇでさぁ! なにもない…なにもはいってないでさぁっ!」
 必死に袷を掻き合わせるが、そんなことをしても力で土方さんに敵うわけがない。
 「しかもしっかり酔っ払ってンじゃねぇか」
 「よっぱらってねぇ!」
 ハイハイ、と、土方さんは俺を押さえつけて袷を寛げてしまった。
 転がった瓶を拾った土方さんが、瓶と俺を見比べる。
 やがて視線は俺だけに定まった。
 俺はもうやけくそだ。
 「だって、みけんさんわりましで、わらえばいいから、マヨつくったんでさぁ」
 「ハァ!?」
 「マヨぬって、たべさせてやろうとおもって、のんだんでさぁ」
 「説明がぶっ飛び過ぎてて解ンねぇ」
 くくくっと土方さんが笑い出した。
 そして笑いながら俺を抱き起こす。
 「馬鹿だなァ、お前」
 俺は目の前で笑う土方さんに目を丸くした。
 「ひじかたさん…」
 笑顔に誘われたのか、酒の所為なのか。
 「…たんじょうび、おめでとうごぜぇやす」
 「ほんっとに馬鹿だなァ……あんがとよ」
 計画は破綻したけれど、満足いく結果に、俺はにっこりと笑った。
 「…お前が先に笑っときゃイイんだよ」
 ぽつりと言われた言葉が、よく聞こえない。
 「なにかいいやしたか?」
 「いや。素直なお前もたまにはイイな」
 俺は素直ついでに要求を述べることにした。
 「ひじかたさんシてぇ」
 「……素直過ぎて大問題だな…店出るぞ」

 イヤがる顔も見てぇけど。
 笑った顔が、好きでさァ。

                               2012.5.5

Back